なぜ、いま倫理が必要なのか?代ゼミ人気No.1哲学講義から学ぶ「人の考え方」

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今さら聞けない!倫理のキホンが2時間で全部頭に入る

『今さら聞けない!倫理のキホンが2時間で全部頭に入る』

著者
蔭山 克秀 [著]
出版社
すばる舎
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784799111178
発売日
2023/05/23
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

なぜ、いま倫理が必要なのか?代ゼミ人気No.1哲学講義から学ぶ「人の考え方」

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

今さら聞けない! 倫理のキホンが2時間で全部頭に入る』(蔭山克秀 著、すばる舎)というタイトルともつながりますが、「倫理」ということばの意味を問われたとしても、明快に答えることは難しいのではないでしょうか?

この点について、代々木ゼミナール公民科講師である著者は次のように述べています。

分解してみるとわかりますが、「倫」という文字は、にんべんと輪っかを組み合わせた「人の輪」、つまり「仲間」を意味します。

そしてそこに「理(筋道・道理)」がくっつくことで、倫理は「仲間や共同体の中で守るべき道理」、言い換えれば「社会の中でのよい生き方」という意味になります。(「はじめに」より)

つまり高校の授業で「倫理」を学ぶ意味は、「人の考え方や人としてのあり方を学ぶことによって、社会のなかで他者とともに生きる能力を身につけること」であるわけです。この科目で学ぶ内容が、哲学のみならず宗教・心理学・現代社会の特質・生命倫理など多岐にわたっているのはそのせい。

とはいっても、実際に「倫理」という科目で学ぶ内容の大半は「人の考え方」、つまり哲学です。だから皆さんも、全体を学ぶ意識を持ちつつも、哲学に軸足を置いて学んでいかれるのがよいと思います。(「はじめに」より)

当然ながらその内容は、ビジネスパーソンにとっても大きな意味を持つものであるはず。しかも「時代背景とわかりやすさ」に注意が払われているため、とにかく肯定的な気持ちで、前から素直に読み進めてほしいと著者。

そこで、きょうはPART 1「古代ギリシャの思想」から、冒頭のトピックスを抜き出してみたいと思います。

哲学の始まりはギリシャ人たちの「暇」

「哲学(philosophy)」という言葉は、ギリシャ語の「フィロソフィア(=愛知)」からきています。命名者は明治の啓蒙思想家・西周(にしあまね)。哲は「さとい(=道理に明るい)」ですから、哲学は「知識を愛して道理に明るくなる学問」という意味になります。(21ページより)

哲学は「知りたい」という欲求を満たす、きわめて人間的な学問。とはいえ太古のギリシャ人たちは生きるのに必死だったため、そんなことを考える暇はなかったよう。そんな彼らにとって、世の中の不思議を説明する手段は「神話(ミュトス)」でした。

したがって「なぜ雷は光るんだろう?」の答えは、「雷の神さまが光らせているから」ということになったわけです。太古のギリシャ人たちは“神さま”という便利なチートアイテムで世界の謎を説明する代わりに、愛知にフタをしてきたということ。

しかしBC6世紀ごろ、「奴隷制」に発達によって彼らの生活は変化しました。奴隷のおかげで日々の雑事から解放された人々は、愛知にもっとも必要なもの、すなわち「暇(スコレー)」を手に入れたのです。

著者によれば、暇は人を哲学者にするのだとか。なぜなら、知識欲が人間の根源的欲求であるなら、暇は多くの場合「知を愛する暇」に結びつこうとするから。そもそもスコレーは「スクール」の語源なので、そういう観点からも“暇こそ学びの源”であると解釈できるわけです。

こうしてついにギリシャ人たちは、雷が光る理由をちゃんと「考え」始めたのです。これは彼らの思想のステージが「神話(ミュトス)」から「理性(ロゴス)」に上がったことを意味します。(21ページより)

なお最初期の哲学は、世の不思議を解明する自然哲学。なかでもとくに人々が熱中したのは「万物の根源(アルケー)」探しだったようです。まさに実用性ゼロの暇つぶしであり、それこそ「愛知」といえそうです。(20ページより)

万物の根源、アルケーを探求する者たち

では、BD6世紀のギリシャ人たちが知の情熱を注いだ「万物の根源(アルケー)探し」という“暇つぶし”とは、はたしてどんなものだったのでしょうか? ここではその代表的なものが紹介されています。

タレスは、万物の根源を「水」と考えました。

なぜならミスは「水・氷・蒸気」の形で、物質の持つ3側面(液体・個体・気体)すべてを持ち合わせているからです。

ピュタゴラスは、万物の根源を「数」と考えました。

ただしこの数は、数字ではなく「規則性や秩序の象徴」という意味です。(23ページより)

古代ギリシャには、「善=規則性や秩序/悪=それらの乱れ」という価値観がありました。そこでピュタゴラスは、「善悪は、規則性の考察手段で把握できる。それは数学や音楽だ」と考えたわけです。

ならば数学を極めて「善」に触れ続ければ、魂も浄化できるはず。そのため彼は宗教的な教団をつくり、弟子たちと数学研究に没頭したのでした。つまり彼にとっての数学は、「魂を救う宗教的手段」だったということです。

ヘラクレイトスは、万物の根源を「火」と考えました。

ただしこの火も、ピュタゴラスの数同様、象徴的な意味です。

彼にとって火は「変化の象徴」でした。つまり、変化こそが万物の本質だというとらえ方です。

彼にとって万物は、ゆらめく炎の形のように、たえず変化し、一瞬たりとも同じ形をとどめないものでした。これを彼は「万物は流転する」と表現したのです。(23ページより)

しかしピュタゴラスとヘラクレイトスが示すものは、「世の成り立ちの根幹」であって、「すべての物質の大もと」を探そうという本来の趣旨から外れてきています。

でも、それを軌道修正する人物が現れました。デモクリトスです。

彼は何と、万物の根源を「原始(アトム)」と考えたのです。

単なる暇つぶしから、ずばり正解に至るとは、恐れ入りました。(22ページより)

たとえばこのように、著者のアプローチはとてもソフトでユーモラス。だからこそ、難しいというイメージが根強い哲学の基礎すら、無理なく理解できるのです。(22ページより)

思想の大枠をつかむことに主眼が置かれているため、“わかるべき箇所をわかりやすく説明すること”に力を割いたと著者は述べています。

難しすぎる箇所の解説はあえて軽めにしてあるため、肩肘を張ることなく読み進められるのです。なかなか聞きづらい、しかし大切なことの輪郭を把握しておくために、ぜひとも活用したいところです。

Source: すばる舎

メディアジーン lifehacker
2023年5月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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