「横道世之介」は38歳カメラマンに 吉田修一の人気シリーズ完結編

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク
  • 永遠と横道世之介 上
  • 永遠と横道世之介 下
  • アイリス

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 恋愛・青春]『永遠と横道世之介』吉田修一/『アイリス』雛倉さりえ

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員。本屋大賞実行委員)

 吉田修一『永遠と横道世之介』(毎日新聞出版)は、人気シリーズの第三弾である。主人公の世之介は、高い能力や人が憧れるような要素を持っている男ではない。大きな目標や高い志があるっていうのでもない。ただ、すごく気のいい奴なのだ。

 第一作目では大学生、第二作目では定職のない若者だった世之介だが、今作では三十八歳のカメラマンである。下宿屋を営むあけみちゃんと一緒に住む彼の周りには、相変わらず人が多い。さまざまな職種の下宿人たち、仕事で知り合った先生夫婦と、その息子で引きこもり気味の少年、落ち目の先輩、かわいい後輩、亡くなった恋人の両親……。するっと人の懐に入り込み、いろんな人と食卓を囲み、遊んでいる。面倒そうな相手も、まずは受け入れてしまう。気がつくと私も、登場人物たちと一緒に呆れたり笑ったり誰かの心配をしていて、絶妙なタイミングで描かれるそれぞれの過去と未来に、泣きそうになったりしている。

 きちんと生きるって、多分世之介のように生きることなのだ。そんなに難しいはずはないのに、どうしてか私はいつもそこから遠ざかってしまう。良くないなあ、と思ったときには、世之介に会いに行こう。これが完結編になるということなので、ここで一度さようならだ。だけど、亡くなった大事な友達がいつも心の中にいるように、世之介にはいつでもまた会えるのだと思う。

 雛倉さりえ『アイリス』(東京創元社)の主人公は、一本の映画に人生を囚われた二人の男性である。彼らの目に映る女優・浮遊子と、映像の美しさに心を奪われた。

 元子役の大学生・瞳介は、孤独だった少年時代に、監督である漆谷に見出されて映画「アイリス」に出演した。その後は俳優として活躍できず引退したが、出演者たちと家族のように暮らし、映像の中で生きた幸福な記憶から逃れられない。妹役だった浮遊子は「アイリス」での演技を超えられないことに苦しんでいる。瞳介と傷口を痛めつけ合うように体を重ねる一方で、漆谷ともマスコミの目を盗んで密会している。漆谷もまた、「アイリス」にこだわり続けている。監督として成功し賞賛されても、満足することができない。「アイリス」を超えたいという思いから新作に浮遊子を出演させることにし、瞳介に似た少年を子役に選ぶが、あることをきっかけに、危ういバランスの上にあった三人の関係は綻んでいく。

 愛しているのか、憎んでいるのか。執着しているのか、離れたいのか。幸福を願っているのか、利用したいのか。関係が濃密になるほど、人は二つの感情の間で揺れ動くものなのではないだろうか。恋人でも友達でも家族でもなく、一本の映画によって離れ難い関係になった登場人物たち。その心境を描く著者の言葉は、新鮮で眩しく、怖いくらい的確である。封印したはずの苦い記憶が、チクチクと刺激された。

新潮社 小説新潮
2023年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク