今だからやりたいことを、私はやっている? アンチ効率主義な生き方を教えてくれる小屋作りエッセイ

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自由の丘に、小屋をつくる

『自由の丘に、小屋をつくる』

著者
川内 有緒 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103552512
発売日
2023/10/18
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

今だからやりたいことを、私はやっている? アンチ効率主義な生き方を教えてくれる小屋作りエッセイ

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員。本屋大賞実行委員)


著者が6年をかけて作った小屋

 Yahoo!ニュース│本屋大賞 ノンフィクション本大賞を『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』で受賞した川内有緒さん。

 興味を持ったテーマに猪突猛進するバイタリティがある一方、ひとり娘の成長に一喜一憂する普通の母親でもある。

 そんな川内さんが、42歳で母親になり「この子に残せるのは、“何かを自分で作り出せる実感”だけかも」と考え、取り組んだのが小さな小屋作りだった。

 単なるDIYだと思う人もいるかもしれない。しかし、その過程を綴ったエッセイ『自由の丘に、小屋をつくる』(新潮社)には、現代社会で見失われがちな「価値」を見つめ直すピースがある。

 夫のイオ君と、幼い娘・ナナの三人による、コスパ・タイパを度外視した小屋作りは家族の何を変え、人生に何を見出したのか?

「生きる力ってなんだろう?」とセルフビルドしながら問い続けた6年間の軌跡を描いた本作の読みどころを、書店員の高頭佐和子さんが紹介する。


 ***

 自分で小屋をつくる。そんなことができる人ってかっこいい。でも、自他共に認める不器用人間の私には、縁のなさそうなテーマだ。素人が作った家ってどうなのか。安全性とか快適さに問題はないのだろうか。慣れない工具を使って、怪我したり腰を痛めたりしても厄介だ。プロに任せた方が、結局はコスパも良いんじゃないの?

 出版社から来た刊行案内を見た時には、ネガティブな言葉ばかりが次々に浮かんできた。それでも読んでみようと思ったのは、著者がノンフィクション作家の川内有緒さんだからである。川内さんは、2022年に『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)でYahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞(現在は終了)を受賞している。投票する書店員の一人としてこの本を読んだが、それまで当たり前と思っていた美術館の楽しみ方をひっくり返す、新しい視点をくれた一冊だった。川内さんが書くならば、小屋づくりというテーマも、何か心に響くかもしれない。そんな気持ちで手に取った。

 フランスのユネスコ本部に勤務していた著者と、バルセロナを拠点にサッカーライターをしていたイオ君は、パリで出会って結婚し、東京に戻って二人ともフリーランスになった。それぞれが自分自身のためにお金と時間を使い、思い立った時に旅に出る。そんな自由な生活は、娘・ナナちゃんを授かったことにより、大きく変化する。保育園に通うようになったナナちゃんが少しずつ言葉をしゃべれるようになったある日、著者はイオ君に提案する。

「自分たちで、小屋をたてたい」

 唐突な希望だが、著者がそう思ったのには理由があった。まず一つは、自然の風景や田舎の生活に触れる機会がナナちゃんにはないということだ。夫婦とも実家が首都圏で、帰る田舎がない。子どもの頃に祖父母の家で見た海は、「ぶれない原風景」となって著者の中に残っている。そういうものを、娘にもあげたいという思いである。

 もう一つは、消費するだけの暮らしに対する疑問だ。世界を舞台に活躍し、いろいろな場所で暮らす能力を身につけた著者だが、震災をきっかけに「何か大切なものを身につけないままに生きてきてしまったのではないか」ということに不安を感じるようになったと言う。「ものを買う」以外の選択肢を持ちたい。小さな家を手作りすることにより、生活の知恵や技術を身につけたい。そういう親の姿を娘に見せることが、彼女の生きる力につながるかもしれない。そんな思いから、著者はまずDIY教室に通い、娘のための机を作ってみることに決める。


娘のために著者がつくった机。ここからDIYはスタートした

「コップをテーブルの上に置いただけで盛大にこぼしてしまう」ほど不器用な著者だが、設計図を書くことやインパクトドライバーにも慣れ、ロッカーやテレビボードを作れるほどの技術も身につけていく。ナナちゃんが2歳になった頃には、知人たちの力を借りて実家のマンションの床の張り替えをするという偉業を成し遂げ、3歳になる頃には、ついに土地が見つかって、整備を開始する。

 不器用度が私と同レベルと思われる著者が、着実にスキルアップしていくことに驚いた。努力と実行力も素晴らしいが、周囲の人を巻き込む力がすごい。著者とイオ君の周りには、気がつくと個性的で愉快な人たちが集まっていて「面白そうだから」という理由で小屋づくりに参加してくれるのだ。プロフェッショナルな技術と知識を持つ人もいれば、まったく未経験の人もいる。料理を作ったり、ナナちゃんと遊んでくれる人もいる。数時間だけいて帰っていく人もいれば、著者がやる気を失っている間に、せっせと作業を進める人も……。それぞれが自分にできることを楽しみながらやって、日常に戻っていく。ゆるい連帯が、読んでいて心地いい。忙しくなる仕事、引っ越し、台風の到来、そしてコロナ禍の緊急事態宣言……。作業が思い通りにいかないことも、不測の事態が起きることもあるが、著者は自分のペースで小屋づくりを進めていき、いつも傍にいるナナちゃんは、人々に囲まれて成長していく。

「計画性を放り出したとき、わたしたちは『今ここ』に集中し、未来から解放され、自由になれるのだ」という著者の言葉が心に残った。いつからか、たいして忙しいわけでもないはずなのに、時間に追われるようになった。趣味の時間や旅先でさえも効率を考えていて、楽しいはずなのにまるでノルマをこなしているみたいだと思うことがある。私にとっての自由って何か。タイパもコスパも考えず、今だからやりたいことを、私はやっているだろうか?そんなことを考えるきっかけを、この本は作ってくれた。

 もうひとつ、読みながら思い出していたのは、亡くなった祖父のことだ。ちょっと変わった人で、古い集合住宅に住んでいるのに、縁もゆかりもなかった地方の集落に土地を買った。地元の大工さんに依頼して、小さな家をそこに建ててもらったのだ。団地住まいの孫たちに故郷を作ってやりたかったと言っていたことを、後で知った。娘に「ぶれない原風景」をあげたいという川内さんの言葉に、祖父の記憶が重なった。

 幼い頃から、毎夏を過ごしたその家での日々を、私はよく覚えている。近所の人たちがいつも野菜をくれたこと、庭でアマガエルと遊んだこと、畑の広がった景色のこと、いろんな人がそこに遊びにきたこと……。私にとっての「ぶれない原風景」はあの場所なのだと思う。

 祖父がくれたのは家そのものではなく、そこで過ごすという経験と時間だ。家はもうないけれど、思い出は年を重ねるほどに心を温めてくれる。

 大人になったナナちゃんは、愉快な人たちと一緒に小屋をつくった日々のことを思い出した時、何を感じるのだろう。お母さんが独創的な愛情を惜しみなく注いでくれたことは、何より大きな力になるのではないかと、私は思っている。

新潮社
2024年4月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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