生産性の鬼だった戦略デザイナーが東京から軽井沢へ。「じぶん時間」が生まれてなにが変わった?

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生産性の鬼だった戦略デザイナーが東京から軽井沢へ。「じぶん時間」が生まれてなにが変わった?

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

じぶん時間を生きる』(佐宗邦威 著、あさま社)は、コロナ禍を境に著者のなかに起きた「生き方についての価値観の変化」を書き記した思考の履歴なのだそう。

たしかにコロナ禍に翻弄されたここ数年の間には、いろいろなことが変化しました。そしてそんななか、多くの人が働き方や仕事観、あるいは「この先、自分はどのように生きていきたいか」に関する考え方を大きく揺さぶられたはず。だからこそ、その変化について考えてみようとしているわけです。

まず著者は、英語では2種類の「変化」があることを指摘しています。まずは外的要因による変化である「チェンジ」。「会社から転勤を命じられた」「結婚して子どもが生まれた」「離婚した」「大事な人と死別した」などの変化は「チェンジ」であるわけです。

対するもうひとつの変化は、内的要因による「トランジション」。「お金を稼ぐことを第一に考えていたが、周囲の人を助けることが大事な価値観になった」「社会に対して挑んでいく戦士だったが、社会課題の当事者に伴走する支援者として働くようになった」というような価値観やアイデンティティの変化、それがトランジションだということです。

いうまでもなく、コロナ禍によってもたらされた多くの変化は「チェンジ」。しかし著者はここで、コロナ禍を通じてライフスタイルが変化していったなかで、私たちにどんな内的変化=「トランジション」が起きたのかを考えようとしているのです。ちなみにそんな著者の内部で起こったトランジションは、「時間のとらえ方=時間感覚のシフト」だったといいます。

今・ここに流れている「時間をどう感じたいか」という意思を持つことから、変化は始まるのではないか。

大事なのは、時間を「効率的に」使うかではない。

自分が過ごしている時間を、「自分を主語に」今を感じて豊かに過ごせるか「他人に支配された時間で生きる世界」から、「自分の時間を生きる世界」への転換ではないか。(「はじめに」より)

そんな本書のなかから、軽井沢に移住した著者の変化について触れられた第4章「『じぶん時間』を取り戻す」に注目してみることにしましょう。

東京から離れて気づいた、自分の参加していたラットレース

都市生活を続ける以上、僕たちはより多くの収入を求め、他の人と競争し、成功を求めて頑張っていく。1日に5件、6件のアポを入れ、満員電車ではスマホでニュースサイトやSNSをチェックする。この生活は、終わりのない成長ゲームに向けて走り続けるハムスターのようなものだ。

移住前の僕は実際そう思うようになっていた。実際、みんな「時間がない」「忙しい」と感じ、「時間というのは最も希少な資源だ」というのは常識だという感覚だ。(247ページより)

私たちにはみな等しく、1日24時間が与えられています。しかし、その時間の過ごし方はその人次第であり、その時間の過ごし方の体感は「いる場所」に影響を受けているものでもあるでしょう。事実、軽井沢に移住したことで変わったことが著者にもあるのだそうです。

それは、東京で日々感じていたという「もっと」を目指すラットレースから下り、自分のペースで歩んでいく「じぶん時間」を過ごすようになったこと。

人が密集しておらず、自然の中で過ごすと、人との比較ではなく、自然と向き合って生活するリズムになる。

移動も車になるため、時間が読めず、東京に住んでいた時のように5分刻みで動いていくようなことはできない。

移動先で、10分くらい余った時間を過ごすことも多い。参加できるイベントが少ないということもある。

1日に2件、3件と展示会や映画をハシゴするような生活も東京時代は当たり前だったが、今はひとつのエンターテインメントでじっくり楽しむというマインドセットになる。(248〜249ページより)

軽井沢での生活のポイントは、「他人」という存在が目に入りにくく、競争の感覚が薄くなることだそう。他人からのプレッシャーを受け、時間に追い立てられて過ごしていく感覚も減っていくといいます。その一方、ちょっとした自然の変化にも敏感になり、毎日を自分のペースで過ごせるようになったのだとか。

つまり「時間感覚の変化」こそが、著者の身に起こったトランジションだったということです。(246ページより)

他人の目からの脱却

とはいえそうした変化は、地方移住をした人だけに起きているわけではないようです。なぜならコロナ禍を経て、社会全体における「なにをよいと感じるか?」という価値観に変化が起きつつあるから。

たしかに、「給料が高くなくても社会的意義のある事業をやっている会社に就職したい」という人も増えています。またキャンプは、自分ですべてを行い、自然のなかでぼーっとすることの価値が再認識されたからブームになったと考えることができます。もちろん、他にもいろいろな変化があるでしょう。

これらは、一言で言うなら、他人のペースに合わせて過ごす「他人時間で生きる時間」よりも、自分の身体が感じるペースで今・ここの瞬間を楽しむ、「じぶん時間を生きる時間」に、より渇望が強まっている動きなのではないかと思う。コロナ禍が引き起こしたテレワークなどの働き方の変化、それに伴う人間関係や住居、ライフスタイルの大転換。それらはすべて「自分の身体が感じている感覚を取り戻す」という社会のトランジションに、僕たちが入っていることを表しているのではないか。(248〜249ページより)

すでに「場」ができあがっていたこれまでの職場においては、人々は「場に役立つ行動」をとることが求められていました。それは周囲の「空気」が支配し、場の規範によって動くという「Outside-in型」の行動パターン。

しかし仕事の場が職場からオンラインに移行すると、価値基準は自分に向き合った「Inside-out型」になるはず。これは、テレワークによって場所のくびきが外れてしまった現在の日本における不可逆的な変化だと著者はいいます。

ここで起きていることこそ、他人時間からじぶん時間へ、という変化だ。他人と比較して生きる、から、自分の尺度で生きる。具体的にいうならば、他の人とのやり取りの中で生まれたTo doをこなす生き方から、自分の内的な感覚を頼りに、やりたいことに集中し、それ以外を捨てるという生き方への変化。(252ページより)

別な表現を用いるなら、それは「時計時間から、身体的な時間感覚への変化」。他者から決められたルーティンがなく、意思決定を自分の軸で行う「じぶん時間」を自分の意思で増やし、活用する。それができるのが、いまの時代だということです。(249ページより)

本書は決して「移住礼賛本」ではなく、移住はひとつの選択肢に過ぎないと著者は述べています。しかし、生活の基盤を移している人が増えているのは事実。そしてそれは、私たちが生きる社会に“生き方の価値観のシフト”が起きつつある兆しなのではないか。

本書の根底には、そうした思いがあるのです。本当にパーソナルな意味での「じぶん時間」を見つけるため、ぜひとも本書を参考にしてみたいところです。

Source: あさま社

メディアジーン lifehacker
2023年7月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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