相手と自分の「エゴ」に向き合う2つの力を身につければ、人間関係の問題は解決する

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教養を磨く

『教養を磨く』

著者
田坂広志 [著]
出版社
光文社
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784334046705
発売日
2023/07/20
価格
1,012円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

相手と自分の「エゴ」に向き合う2つの力を身につければ、人間関係の問題は解決する

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

工学博士である『教養を磨く 宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで』(田坂広志 著、光文社新書)の著者は、過去23年間にわたり社会人向けの経営大学院で教鞭をとってきたという実績の持ち主でもあります。なお、その講義のひとつが「ネオ・リベラルアーツ論」と名づけられたものなのだそうです。

「ネオ・リベラルアーツ」(新たな教養)をテーマとして掲げたことには理由があるようです。それは、これからの時代には、これまで論じられてきた「教養」とはまったく異なる「新たな教養」が求められているから。

これまでの「教養論」は、しばしば、「歴史学を学べ」「宗教学を学べ」「政治学を学べ」「経済学を学べ」「心理学を学べ」「人間学を学べ」といった形で、幅広いジャンルでの読書を勧め、様々な専門知識を学ぶことを勧めてきた。

しかし、真の「教養」とは、本来、多くの本を読み、様々な知識を学ぶことではなく、そうした読書と知識を通じて、「人間としての生き方」を学び、実践することである。(「はじめに」より)

ところが残念ながら、現代の「教養論」においては、「生き方」という大切な視点が見失われてしまっているケースが多いというのです。そこで、読者に従来とは異なる「新たな教養」を深めてもらうことを意図して書かれたのが本書だということ。

具体的には著者自身の抱く「深い問い」を中心に、さまざまな知識と叡智を縦横に結びつけて「随筆」(エッセイ)の形で語り([生態系の知])、専門書のみならず映画や小説、漫画までのさまざまな場面の「擬似体験」を通じて学びと気づきを提供し([体験の知])、著者自身の体験やエピソードを通してあらゆる洞察を行っている([物語の知])のです。

きょうは第一部「哲学の究極の問い」のなかから、人間関係についての悩みに焦点を当てた「心の「エゴ」に処する力」という項目を抜き出してみたいと思います。

相手のエゴに処する力

著者は国内外から多くの経営者やリーダーが集まる「田坂塾」という私塾を主宰していることでも知られますが、そんななか、多くの塾生から人間関係についての相談を受けるのだそうです。

たとえば、「部下や社員の心が離れてしまった」「上司と意見が合わない」「職場で同僚とぶつかってしまう」などなど。

よく聴く悩みではありますが、そういった人間関係の問題を解決するためには、操作主義的な「対人術」は逆効果であり、かえって人間関係を悪化させることさえあると述べています。人間関係の問題を真に解決するために必要なのは、人間の心の「エゴ」に対処する「ふたつの力」なのだとも。

第一は、「相手のエゴに処する力」であるが、その力を身につけるためには、まず、「相手のエゴの思いや叫び」を理解する力を身につけなければならない。

なぜなら、人間関係が壊れるのは、ほとんどの場合「自分のエゴの視点」を「正しい基準」であると思い込み、相手の言動を「間違っている」と批判し、非難し、ときに、嫌悪する状況に陥ってしまうからである。(42〜43ページより)

しかし、もしも次のような視点で相手を見つめることができるなら、相手の姿はまったく違って見えるはず。

「たとえ、どのような姿を示していても、相手には相手の、必死の思いや心の叫びがある

「自分の含め、誰もが未熟さや欠点を抱えており、その未熟さや欠点で、内心、悩んでいる

誰もが、心の中に、扱いにくいエゴを抱え、そのエゴに振り回されて、苦しんでいる」(43ページより)

つまりはそれが、「相手のエゴの思いや叫び」を理解する力にほかならないわけです。そして、このような“視点の転換”ができれば自分の心も変わりはじめ、相手との関係が好転していくのです。(42ページより)

自分のエゴに処する力

とはいえ、人間関係の問題を本当の意味で超えていくためには、第一の力だけでは不十分。第二の力である「自分のエゴに処する力」をも身につけていかなければならないというのです。

ただしそれは、世の中でしばしば語られる「エゴを捨てる」とか「我欲を捨てる」ということではないようです。

なぜなら私たちの「エゴ」や「我欲」は、生物としての「生存本能」と深く結びついた、きわめて強固なものだから。捨てようと思って捨てられるほど、生やさしいものではないということ。

そのため、「エゴを捨てよう」と思ってエゴを抑圧しても、それは一時的に心の表面から姿を消すだけ。いつ必ずどこかでまた、鎌首をもたげてくるというのです。

だとすれば、その厄介なエゴにどう処すればいいのでしょうか? 著者によれば、その方法は昔からただひとつなのだそう。

否定も肯定もせず、ただ、静かに見つめる。(44ページより)

実際のところ、自分の心のなかのエゴがうごめいたり叫んだりしたときには、それを抑圧するのではなく、もっと大切なことがあるというのです。

ただ静かに、「ああ、自分の中で、嫉妬心が動いている」「ああ、心の中で、怒りが湧き上がっている」と見つめるならば、不思議なほど、そのエゴは静まっていく。

逆に、「エゴを捨てよ!」「我欲を捨てよ!」と、無理やりエゴを抑圧すると、しばしば、「自分はエゴを捨てた人間である」と思い込み、自分が一段深い境地に入ったと思い込む、「エゴの自己欺瞞」や「エゴの巧妙な罠」に陥ってしまう。(44ページより)

かようにエゴは扱いにくいわけですが、そんな厄介なエゴに処するもうひとつの方法があるようです。それは、エゴを「大きく育てる」ことなのだとか。

例えば、企業に入社したばかりの新入社員は、当初、「同期の仲間に負けたくない」といった次元で小さなエゴが動く。

しかし、人間として成長するにつれ、「この職場の仲間と良い仕事を成し遂げよう」「この会社を世の中に貢献する素晴らしい企業にしよう」「この産業を通じて豊かな日本を実現しよう」「この新技術によって、人類の未来を切り拓こう」といった形で、小さなエゴ「小我」が、徐々に、大きなエゴ「大我」へと成長していく。(45ページより)

つまり、もしも私たちがこうして「大我」への道を歩むなら、いつか私たちは、古来から語り継がれる「『大我』は『無我』に似たり」ということばが真実であることに気づけるわけです。そして、そこにこそ、エゴを超えていくもうひとつの道があるのだと著者はいうのです。(43ページより)

平易で読みやすく、すらすらと読めてしまう一冊。固定観念を排除して、新たな教養についての著者の考え方を理解してみたいところです。

Source: 光文社新書

メディアジーン lifehacker
2023年8月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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