紹介するのにミステリの名編集者も試行錯誤!話題の“ネタバレ厳禁”作品の魅力

レビュー

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世界でいちばん透きとおった物語

『世界でいちばん透きとおった物語』

著者
杉井 光 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101802626
発売日
2023/04/26
価格
737円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

紹介するのにミステリの名編集者も試行錯誤!話題の“ネタバレ厳禁”作品の魅力

[レビュアー] 戸川安宣(編集者)

 紙の本でこそ味わえる魅力と“ネタバレ厳禁”の仕掛けがあると話題の『世界でいちばん透きとおった物語』(杉井光、新潮文庫nex)。

 ミステリやSFの専門出版社である東京創元社の元社長で、北村薫、有栖川有栖、宮部みゆき、山口雅也を作家デビューさせ、公募の新人文学賞「鮎川哲也賞」を創設するなど、多くの作品を手掛けてきた編集者・戸川安宣さんは、この一風変わったミステリ作品をどう読んだのか。

 作品の魅力を語ったレビューが、読書情報誌「波」2023年10月号に掲載される。趣向を凝らした名レビューを、webの読者に向けて再編集し紹介しよう。

 ***

 推理小説――就中(なかんずく)論理性を重んじる謎解きミステリを好む人は、趣向を凝らした仕掛け本に目がない。児戯に類すると言われようと、外連(けれん)に無関心ではいられないのだ。

 ポオが骨格を作り上げて以来、推理小説は徐々に進化を遂げてきた。時には厳しい戒律を自ら定めて。

 その結果、読者に対するフェアプレイの精神が尊ばれるようになった。推理のデータはすべて与えたので、論理的に考えれば誰でも正解にたどり着ける、そう読者に挑戦する著者が現れる。中には、その手がかりは本書の何ページと何ページにちゃんと書いてあるじゃないか、と註でいちいち明示する作品まで登場した。こうなれば解決編を綴じてしまおう、と考える作者が出てくるのは当然で、いくつかの袋綴じミステリが誕生することになる。 

 その究極の形が、1936年の’Murder Off Miami’に始まる《犯罪調書(クライム・ドシェ)》のシリーズではないだろうか。

 この作品には血痕の付いたカーテン生地やマッチの燃え殻などが添付されていて、宛(さなが)ら証拠品を貼り込んだ警察の調書を彷彿とさせる造りになっていた。これが話題を呼び、日本でも本国版の翌年に翻訳が刊行されている。原作に比べると調書の体裁は遙かに劣るが、こういう仕掛けを喜んで邦訳を試みようとした同胞の士がいたことに感動する。

 それから半世紀近くたって英米で復刻本が刊行され、再注目を浴びたときにすぐ日本での刊行が決まり、今度は原書通りの体裁による日本版が誕生した。

 この調書シリーズ、仕掛けのアイディアは無論、作者の発想によるものだが、それを形にしたのは添付の証拠品を拵えた技術者、そして印刷や製本に携わる人たちである。

 そんな中、100パーセント作者の努力に依って完成した仕掛け本が、日本で生まれた。

 それを成し遂げた作家こそ、A先生である。

 そしてそれこそが、本書の著者に「生涯で最も激しい驚愕を伴う読書体験を与え」、今回の作品を誕生させるきっかけとなった二つの作品なのだ。

 その初めの作品は、昭和62年、今から36年前に本書と同じ新潮文庫の一冊として上梓された。

「著者がこの文庫本で試みた驚くべき企て」と、カバーの紹介文にある。当時、ただちに読んだぼくは一読三嘆した。

 いったい、どうしたらこんなことができるのだろう。

 直接、著者にうかがったところ、刊行本の字詰めと同じ原稿用紙を造って、升目を埋めたという。ふだんから手書きで執筆されておられた方だから、勿論、すべて手作業だったのだ。なんという超絶技巧!

 ところで7年後の平成6年に、A先生はまたしても、とんでもない作品を発表する。

 同じく新潮文庫で刊行された二冊目の本には、巻頭に「この本の読み方」という注意書きが付いていた。空前絶後、こんなことは新潮文庫の長い歴史の中で初めてである。

「世界出版史上に輝く驚愕の書」と同書の帯の惹句にあるのは、大袈裟でもなんでもない。

 これ以上書くと、せっかく杉井さんが苦労して隠されたネタをバラしてしまうことになる。

「杉井光さんの『世界でいちばん透きとおった物語』これはすごいわ! 亡くなった父親?である小説家の遺稿を探すミステリですが……参考文献のあとのページにあぁと思いました。本が好きな人は読んでほしいです」という、ミステリ好きの公立図書館職員がWEB上での呟きを目にし、あわてて検索してみると、つい数日前に出たばかりの新潮文庫nexの最新刊だった。

 推理小説はあまり読まない、という主人公にしては、「ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』みたいな」などというマニアックな比喩が使われたりする。けれど、主人公はどうあれ、作者はなかなか手練(てだ)れのミステリ・マニアだ。全編にわたってさりげなく伏線が張り巡らされている。ネタバレぎりぎりのところで言うと、巻末の参考文献などは著者が仕掛けたレッド・ヘリングの好例だろう。

 本書を愉しまれた方におすすめしたい作品が一つある。竹本健治さんが2016年に上梓した『涙香迷宮』だ。まったく質の違う仕掛けだが、書き上げるのに想像を絶する労苦を要したであろうことは本書の著者と同じである。竹本さんの本も今は文庫になっている。

 最後にこれだけは是非とも言っておきたい。

 仕掛けの凄さに目を奪われがちだが、本書は優れた推理小説であり、読後感の極めて爽やかな良質のエンタテインメントである、と。

 先行の二作品とともに、杉井光さんに深甚なる敬意を!

 ご苦労様でした!!

新潮社
2023年9月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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