『働く君に伝えたい 「考える」の始め方』
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必要なのは「思う・悩む」とは違う、まっとうに「考える技術」
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
163もの国や地域から訪れた学生たちがともに学ぶ立命館アジア太平洋大学(APU)の学長として、『働く君に伝えたい 「考える」の始め方』(出口治明 著、ポプラ社)の著者には実感していることがあるのだそうです。
それは、思考力の大切さ。
育ってきた環境や文化、受けてきた教育、話すことばが違う人たちとコミュニケーションをとるには、自分の考えを整理し、ゼロから論理立てて話すことが必要。よくいわれる「暗黙の了解」などはありえないわけです。
ここ数年で、「多様性」という言葉をよく耳にするようになりました。
人種、国籍、文化、性別、性的指向、年齢、障がいの有無。そして、あらゆることに対する価値観――。(中略)
多様性を尊重する社会のメンバーとして生きるうえでも、とどまるところを知らないグローバル化によっても、さまざまな人と仕事や地域で活動する機会は増えるでしょう。
だからこそ、自分の考えをしっかりと持ち、自分の言葉で自分の考えを整理し、論理立てて伝える必要がある。つまりは、思考力を伸ばさなければならないのです。(「ガイダンス」より)
これからの社会では、自分の考えをわかりやすく伝えたり、相手の考えを受け入れたり、異なる意見の間で落としどころを見つけたりしながら、お互いを理解し合う力が欠かせないということ。
だから「まっとうに考える技術」を身につけることが重要であり、それは多様性がさらに「当たり前」になっていくであろう今後の世の中において、大きな武器になるはず。
そこで “「考える」のはじめ方”をテーマとした本書において著者は、「考える方法」、すなわち自分の頭で考え、自分の意見を持つ基本を伝えようとしているのです。
きょうはそのなかから、第2講「考えるとは、どういうことか」に焦点を当ててみることにしましょう。
正しく知って、正しく考える
なにかを考えようとするとき、なんの情報もない、まっさらな状態から思考を組み立てることは不可能です。なぜなら、その対象、あるいは対象の周辺にある情報を「知る」必要があるから。
たとえば次の事業戦略を考えるのであれば、顧客アンケートを取ったり、他社のリサーチをしたり、現状の数字を用意したりすることは欠かせません。世界平和について考えるなら、各国の歴史や価値観などを学ぶことも不可欠です。
「思う」や「悩む」との違いは、この「知る」プロセスが必要かどうかにあります。
そしてその知識のかたまりを、論理的に、飛躍させずに組み立てていくのです。
つまり、はじめに仕入れる知識が誤ったものであれば、どれだけ考えを組み立てようとしても正解にはたどりつけません。
正しく知ってこそ、正しく考えることができる。これが原則なのです。(34〜35ページより)
もちろん、正しい知識があったとしても考える力がなければ無意味。いってみれば知識は武器であり、それを使いこなす筋肉が考える力だということです。したがってどちらも欠かすことができないわけですが、とくに重要なのは武器。武器がなければ、なにも始まらないのですから。
では、どこでその武器、すなわち「知」を得ればいいのでしょうか? このことについて著者は、「信頼できる情報というのは、限られた人だけが手に入れられるものではありません」と述べています。「自分たちしか知らない真実」は、たいてい偽物なのだとも。
たしかに公的な調査結果や統計はネットにも掲載されていますし、専門書や論文などの“ファクト”が並んだ情報も図書館で手に入れることが可能。それらを労を惜しむことなく自分で読み解き、意図や思想が「介在していない」情報にあたることが大切であるわけです。(34ページより)
考えるとは、どういうことか
しかし、そもそも「考える」とはどういうことなのでしょうか?
この問いに対して著者は、「考える」とは、まず問いを持つことからはじまるものだと答えています。「本当にそうだろうか?」と疑い、答えを求めていくということ。そしてその際、次の3つのステップがあらゆる場面で使えるといいます。
1 目の前にある違和感を見逃さない
2 疑ったルールや事象に対して、「なぜ」「どうすればいいか」を考える
3 おかしいと思ったら声を挙げ、説明する
(45ページより)
こうして問いを立てる意識は、多様性のある社会においては不可欠。狭い社会やコミュニティ、近い価値観の人が集まる場所では、多くの人にとって「心地よいルール」が適用されたとしてもそこまで問題にはならないでしょう。しかし、多様性のある場ではそうはいきません。ひとつひとつのルールに合理性や納得できる理由がなければ、結果的には不幸になる人が増えてしまうからです。
大切なのは、与えられたルールを鵜呑みにせず、「どうしてこの条件が必要なんだろう?」「もっといいルールにできないか?」と考えること。その結果、おかしいと思ったなら、がまんするだけではなく、変えていくことが大切なのです。
もちろんそのとき、相手の「声」を無視したり頭ごなしに否定しないことも、これからの時代により求められるスタンス。
問わなければ、考えられません。
考えなければ、議論を起こせません。
議論を起こさなければ、いつまでも理不尽を押しつけられる(もしくは、理不尽なことがまかりとおった)ままです。
(47〜48ページより)
もし考える人がいなければ、学校も会社も社会も、多様性の時代に適応できず停滞していくばかり。だからこそ、「考える」ことが大切だということです。(41ページより)
75歳になる著者は、「年寄りの仕事は次世代に知恵を伝えること」だと考えているのだとか。本書もまた、「いまこそ手渡せるものがあるのではないか」という思いから執筆されたものだそう。だとすれば私たちは、そんな著者の「考える技術」を本書から学び、そして活かしていくべきなのでしょう。
Source: ポプラ社