はだかのこえ 甫木元空『はだかのゆめ』

レビュー

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はだかのゆめ

『はだかのゆめ』

著者
甫木元 空 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103551911
発売日
2023/10/18
価格
2,090円(税込)

書籍情報:openBD

はだかのこえ

[レビュアー] 前野健太(シンガーソングライター/俳優)

前野健太・評「はだかのこえ」

 たったひとつの体で、この人生は進む。

 たったひとつの喉で、歌を歌う。

 この声は確かに自分の声だ。

 だが果たして本当にそうだろうか。

 この小説を読み終わった時、思い浮かべたのはそんなことだった。

 甫木元空の初小説『はだかのゆめ』には同名のタイトルが付けられた映画がある。どちらが先か、ということもなく、甫木元さんはまず文章を書き始めた。病魔に侵された母のこと、生まれ育った埼玉から母の故郷高知への移住、そこでの祖父と母との暮らし。初めはノリノリのアドベンチャーよろしく筆もノってこちらも一緒に旅をしている感じになるが、だんだんとそのトーンは影を潜め、ゆっくり高知四万十の風景、自然に飲み込まれていくようになる。自然と一言で書いてしまったが、そこには母の病気の進行という“自然”も含まれる。

 畑仕事をし、夕方5時から決まって晩酌をする快活な祖父。だんだんと体が弱っていくなか、小さな生き物にそっと話しかけるようになる母。もう亡くなってはいるが、時々顔を出し、存在感を示す父。暴れ川の異名をもつ四万十川。それらとは一線を画すように存在する自我。そしてその自我にツッコミを入れようとする主人公。これらが渾然となってゆったりとした大きな流れを生み出している。

 私は映画版『はだかのゆめ』に出演者として参加した。「おんちゃん」という役を与えられ、演じた。甫木元さんから声をかけてもらい、シナリオとバンド(氏は音楽家でもあり、Bialystocksというバンドの作詞作曲、ボーカルも務める)の音源を送ってもらった。脚本を読み終わり「はだかのゆめ」というタイトルを眺めた時に、つーっと涙がこぼれた。人は生まれた時は皆裸で、自分が母の体の中にいた時のことを、知るはずもないのに、思い出した。「はだかのゆめ」とはなんて希望のある言葉なのだろうとその時思ったのかもしれない。小さな希望。それからバンドの音源を聴き驚いた。このシナリオを書いて、さらにこんな凄いバンドもやってるのか、と。やはりこの世の中には才能を持っている人がいるのだなと少し落ち込んだが、今思えば、埼玉から高知に移り、そこでの生活がみっちりと土壌になり、いま表現が溢れ出てきているのだと理解することができる。

 映画の撮影に入る前に、甫木元さんからこの小説の元になった文章を渡された。驚いた。文章もめちゃくちゃに良い。おんちゃんの役作りの参考になるかもしれないので、と渡されたが、文章表現にしか出来ない魅力があった。言葉が活き活きとしていた。言葉が踊っていた。言葉が生み出す音、リズムを無視することなく、書き進めているように感じた。

 映画『はだかのゆめ』は実際に高知四万十でロケ、撮影された。初めて訪れたが、緑がこんもりとした、雄大な自然に囲まれた町だった。川も大きい、山もずっと連なっている、とにかく自然のスケールがでかい、そんな印象をおぼえた。撮影で使われた甫木元家の裏山には先祖代々の墓があり、十何代も前の墓は刻まれた文字も消えかけ、苔むしていて、ただの石になりかけていた。その墓石におんちゃん役の私は水をかけた。映画なのか現実なのか、境界線はなくなっていた。甫木元さんはなぞりたかったし、愛でたかったのだろう。フィルムに焼き付ける、とはデジタルでは言わないが、他人を迎え入れることで、地に足をつけすぎないようにしたかったのでは、と今は感じる。映画にすることで、融解させたかったのでは、と。

 映画の撮影がクランクアップして、俳優陣は一言求められた。私は連なる山、森を見ていた。何を言おうか考えている時、森の「顔」がくっきりと見えた。人格ならぬ森格。地球の主は人間ではない、そっちの方だ、と感じた。二度目に四万十を訪れた際も、同じような感じになった。無人のホームで気動車を待っていて、大きな葉っぱがホームにあった。思わず、おはよう、と声をかけてしまったのだ。これは四万十だからなのか、それはある。ただ東京に戻ってきてからも、花や植物に声をかけるようになった。これは甫木元体験を経たからではないか、と密かに思っている。

 私がこの小説で一番好きだったのは、主人公が弱った母の髪を庭で散髪するところ。他の生き物のことは分からないが、人間の美しさを感じた。髪を切るハサミの音、そして音もなくハラハラと風に舞う、髪の毛。母の細くなった首にふと触れる、主人公の指先。たしかにこの人から生まれてきた。はだかで生まれてきた。この瞬間を音楽と呼ぶのかもしれない。

 歌っていればその人の歌だと思うし、歌声はその人だけのもののように感じるのは当然だが、風にささやく森の葉っぱの音は、あれは誰のものだろうか。

 自我を溶かそうと試みた先に、様々な養分を得た著者の、次の一手が気になる。今、その喉、その声には、あたらしい「はだかのゆめ」が、宿っているはずだろうから。

新潮社 波
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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