『はだかのゆめ』
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四万十川のほとりで見るふしぎな夢 注目の才能が紡ぐ初めての小説!
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
バンド「Bialystocks」のボーカルで映画監督でもある著者の初めての小説は、高知・四万十川流域を舞台に、終わりがくることを意識しながら過ごした、たいせつな人たちとの時間を描いている。光を受けきらめく水しぶきのように、不定形なまま差し出された言葉が鮮烈な印象を与える。
主人公(「僕」)は埼玉から母の生まれ故郷である高知に移り住んでいる。高齢の祖父を世話しに実家へ戻った母の深刻な病気がわかったためだ。ステージ4のガンで余命は2年。祖父より先に、どうやら母を看取ることになりそうだった。
僕はくりかえしふしぎな夢を見る。「水には記憶が織り込まれて居て、そいつがどうも夢を見せるらしい」。「彼奴」と呼んでいる、もう一人の自分らしき存在が現れ、行動をあれこれ論評する。父はすでに亡くなっていて、自分の中に3人いたうちの一人がそのとき死んだと感じている。親の死を「死の予行演習」と考える僕は、少しでも長く母と同じ時間を過ごしたいと願う。
本に収録された同名映画のシナリオのまえがきに、「生きてるものが死んでいて、死んでるものが生きてるような」と書かれている。シナリオは死者の影が濃く、小説はより現実的で、設定は異なるが、たゆたう空気感は共通している。
小説のなかで「生きてるもの」の存在感を示すのが86歳の祖父で、畑仕事を孫に教え、地の野菜と魚で食事をととのえ、庭のブシュカン(仏手柑)を搾った焼酎で晩酌をたのしむ。二人の妻に先立たれたいまも、恋人との定時連絡(生存確認)を欠かさない。
祖父の土佐弁(「ツ」を「トゥ」と発音するなど)が耳に心地よい。終わりを予感しつつも、「なる様にしかならんきねぇ」という祖父の言葉に深くうなずき、読んでいるこちらの心も少し軽くなって、このままずっと読みふけっていたくなる。