『イスタンブル、イスタンブル』
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<書評>『イスタンブル、イスタンブル』ブルハン・ソンメズ 著
[レビュアー] いとうせいこう
◆現実超える虚構の悦楽
学生デミルタイ、ドクター、床屋のカモ、キュヘイラン爺とそれぞれ呼ばれる4人の男が地下の牢獄(ろうごく)にいる。向かいの檻(おり)には1人の若い女性も入っている。
かわるがわる看守に引き出され、すさまじい拷問を受ける彼らはどうやらトルコの中で密(ひそ)かに政治活動をし、逮捕されたのらしい。
死に近づくような暴力の痛みが次々に描写され続けるが、同時に彼らが互いに話す物語が現実を軽々と超えて展開される。それが各々(おのおの)にとっての事実なのか、それとも作り事なのかわからない。
互いのフィクションはやがて混じりあうようでもあるし、それが語られる間になんと彼らは架空の煙草(たばこ)に火をつけあい、ラクと呼ばれるトルコを代表する酒を酌み交わす。こうした虚構の悦楽が苛烈な拷問への恐れを超越してしまうたび、読者は想像力の荘厳さにしびれるだろう。
作者ブルハン・ソンメズはトルコの大作家だというが、やはりトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクを崇(あが)める私でさえ恥ずかしながら今回初めて読んだ。訳者あとがきによると、ソンメズは国内で弾圧されてきたクルド人であり、「人権弁護士として政治活動に身を投じた」人物で、警察の襲撃で重傷を負って英国に亡命したのだという。
だからこその拷問によるダメージの、微に入り細をうがつ表現なのかと思うと読むつらさも増すが、むろんその分だけ口を割らない彼らの尊厳、そして傷だらけの身体からしぼり出される物語のユーモアが心に沁(し)みる。
息が詰まるほどの暴力の合間に、作者はそれぞれの人物にイスタンブルへの愛を語らせる。だがこのイスタンブルはきわめて多義的で、過去の大都市なのか、あるいは世界で今も傷つけられているあらゆる被害者の隣に広がった土地なのかを明確にしない。
そもそも作者の文章は幻想的で時に格調高く、弾圧する側のふるう一撃ずつの暴行の卑しさを跳(は)ね返してしまう。それは登場人物が言うような「美は無限」であることの証左なのかもしれない。
(最所篤子訳、小学館・2750円)
1965年生まれ。トルコ出身の弁護士、作家。
◆もう1冊
『イスタンブール 思い出とこの町』オルハン・パムク著、和久井路子訳(藤原書店)