『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』
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『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』片野ゆか著
[レビュアー] 東畑開人(臨床心理士)
馬に学ぶ ケアの大切さ
お正月、競馬好きの親戚と久しぶりに話をした。だいぶ前に定年退職して、今は毎日4時間、ただただ青信号の方へと向かう散歩をしているのだと言っていた。
本書で描かれているのは、そのような引退後の第2の人生だ。と言っても、人間ではなく、馬の話。競馬場で十分な成績を残せず引退したサラブレッドたちが、乗馬やホースセラピーなどのセカンドキャリアを築いていくプロセスと、そのための場所を準備し、そのための訓練を行う人々についてのノンフィクションである。
いや、そこでなされているのは、訓練というよりもケアと言った方がいい。というのも、引退したばかりの競走馬たちはひどくイライラし、カリカリしているからだ。彼らは厳しい競争の世界で闘争心をあおられ、消耗し、傷ついていて、とてもすぐにセカンドキャリアを始められる状態じゃない。
たとえば、本書の中では、あの名馬ディープインパクトの産駒三兄弟が登場する。彼らは当初足の怪我(けが)をしていて、人を噛(か)み、蹴ろうとする。放牧場でも体を横揺れさせ続ける。そういう三兄弟に対してトレーナーは丁寧に観察し、名前を呼びかけ、信頼感を構築する。そうやって彼らは人を乗せられるようになっていく。馬だって、十分にケアされることではじめて、誰かをケアすることができるようになるということだ。
本書を読んでいると、どうしても人間を重ねてしまう。現代社会は競馬場のような絶えざる競争の場所に見えるし、そこで私たちも消耗している。だから、仕事を引退しても、心はすぐには引退できない。「セカンドキャリアをめざすためには、まずはリラックスできる環境のなかで心身を癒していく必要がある」。目的地にまっすぐ進むカリカリとした歩き方から、青信号の方へとフラッと向かえる歩き方へ。セカンドキャリアに必要なケアを、馬たちから教えてもらえる良著である。(集英社、2200円)