『東京漫才全史』
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<書評>『東京漫才全史』神保喜利彦(きりひこ) 著
[レビュアー] 長谷部浩(演劇評論家)
◆綿密調査で読み解く盛衰史
対象に魅入られる。それが良書を生むための必須条件であろう。この通史は、1996年生まれの若武者が、同時代を呼吸できなかった漫才に、強く肩入れする気持ちに貫かれている。
吉本に代表される関西の漫才とタレントが、世間を席巻している。けれども、かつては、東京の漫才も、隆盛を誇った歴史があった。白眉となるのは、元祖、東喜代駒(あずまきよこま)にはじまり、四天王、夫婦漫才、民謡の安来節(やすぎぶし)とのかかわりを書き起こした第2章から3章である。かつては芸能の中心地だった浅草の空気感が伝わり、さらにラジオ放送との関わりを読み解いていく。そして、戦前の黄金時代や戦時下、そして終戦直後の焼け跡で、市民に笑いを巻き起こす娯楽が、尊重され、下火にもなり、けれども立ち上がっていく。そのありさまを、まるで見てきたように描き出している。
寄席演芸の本道には、落語が君臨してきた。色物と一段下に見られてきた漫才の屈辱もまた、著者が共有するところだ。記録や先行研究に乏しいジャンルにもかかわらず、この臨場感を創り出したのは、綿密な調査と思い入れによる。
「我々も落語家や浪曲師のように団体を持つべきではないか。メディアや芸能社への交渉の窓口として協会を持つべきではないか」。かくして54年頃から、元NHKアナウンサーで演芸に詳しかった松内則三を中心に、漫才研究会という形で結束を試みて、翌年には正式に発足したという。
確かに、職能団体が、弱い立場にあった漫才に大きな力となったのは間違いがない。ところが東京漫才が人気を失うとともに、組織の弊害もまた明らかになっていく。だれが会長となるか、だれまでが幹部なのか。師弟関係もからみあう。この研究会結成から、後半にかけて、本書の記述に「幹部」の言葉が頻発するのを、哀(かな)しみとともに読んだ。
漫才は、相手が必要な複数人の芸である。必然的に、漫才は、解散の歴史にほかならない。その残酷さもまた、胸を打つ。
(筑摩選書・2310円)
1996年生まれ。芸能研究者。サイト「東京漫才のすべて」などを運営。
◆もう一冊
『にっぽん藝人伝』矢野誠一著(河出文庫、電子書籍あり)