人間のふりをした神が住んでいる、パラレルワールドのありふれたファミレス

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神と黒蟹県

『神と黒蟹県』

著者
絲山 秋子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163917757
発売日
2023/11/13
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

あっちとこっちを結ぶファミレスはどこだ?

[レビュアー] 川内有緒(作家)

日本に「黒蟹県」が存在する世界線

 八つの短編からなるこの小説の舞台は、日本のとある県。山があって海があって温泉がある。城や歴史的街並みもある傍に、コンビニもホームセンターも並ぶ。隣りあう町同士の折り合いは良くないが、それでも同じ県に住む同士、なんとかうまくやっている。転勤先としては「微妙」などと言われてしまうその県とは、さて、どこでしょう? 答えは、黒蟹県。

 物語は、黒蟹山もよく見える国道67号線沿いにある「黒蟹営業所」から始まる。営業所が販売する商品は「セレマ3」や「パワーエートス」など。近隣の山でよく採れる山菜はかぼす菜やキリネ。白ヒルギタケは味噌汁に入れると美味しいらしい。そんな話からもわかる通り、物語の中に出てくる固有名詞は読者に馴染みがない。どこにでもありそうな地域の話なのに、話題についていけない余所者気分に陥って、最初はちょっとツラかった。

 しかし、途中で、ああ、きっとこれはパラレルワールドなんだ、と納得した。明治か大正のどこかで、歴史が横に3ミリくらいそれる道があり、右にいったら我々が住む日本で、左にいったら黒蟹県が存在する日本というわけ。そうに違いないと思ったら、急にリアリティが増し、物語に没入していった。様々な読み方ができる小説なのである。

 物語には「神」なる存在も出てくる。全知全能というより「半知半能」で、人間界についてとことん無知である。弁当とはなにかと当惑するほど無知といえばそのレベルがわかるだろうか。「神」は人間の暮らしが知りたいと、目立たない黒蟹県人になりすまし、ふわーっと生活している。ヤンキーと交流したり、ホームセンターで働いたり、たまに誰かを助けたり。

 神以外の黒蟹県の住人に関しては、我々が住む世界と何ら変わらない。「日本のおじさんの終わりの全てを集めてテーマパークにした」ような雉倉さんも、恋愛することなく年を重ね、「親しくなる」から「つき合う」の垣根を越えられないままに閉経を迎えた絵衣子さんも。全ての人に語られない歴史があり、降り積もる落ち葉のような感情を秘めている。そんな黒蟹の人々の人生は、交差し、すれ違う。人間に成りすました神もまたそのひとり。彼らの紡ぐ愛しき日常に触れるうちに、我々もまた黒蟹の住人になった気がする。

 黒蟹県が有る日本と無い日本はパラレルに存在し、交わることはない。しかし、もしかしてあそこが接点かも、という場所が出てくる。それは筆柿村に至る旧道にあるファミレス。内部は明るく、窓越しには談笑している客も見えるのに、どうやっても入り口を見つけられない。さらに勝手な持論を展開させてもらうと、きっとあのファミレスはこちら側の世界に属するのだ。しかし、我々の側からは、黒蟹側が決して見えないのではないか。でも、どこかにはあのファミレスがやっぱりあるのかも。間違ってあちら側に迷い込んでしまった時のために、各章末に挿入されている『黒蟹辞典』を読み込んでおくのも、良いかもしれない。

河出書房新社 文藝
2024年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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