『世にもあいまいなことばの秘密』
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『世にもあいまいなことばの秘密』川添愛著
[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)
すれ違う解釈 言葉の妙
コンビニでレジ袋を断るとき、皆さんは何と伝えているだろうか。私は以前、「大丈夫です」と言っていたらレジ袋を渡されることが多かったので、いまは首を横に振りながら「結構です」、それでも伝わらないようなら「要りません」と言っている。実際、「大丈夫」という言葉は曲者(くせもの)で、我が家では「お茶飲む?」といった問いに子どもが「大丈夫」を多用して「どっち?」となることが多く、「大丈夫」は禁止しようかと思ったこともあった。そんな折に繙(ひもと)いた本書、「『大丈夫です』――承諾か、断りか」問題はちゃんと取り上げられていた。婉曲(えんきょく)的な言い方はすれ違いを引き起こしやすい。なるほどそうだ。ただ、「要らない」と言いにくい場合もある。そんなときは具体的な言葉と一緒に使うと曖昧さが消えると、著者はアドバイスしてくれる。
本書を読んでいる間、私は大分うるさかったに違いない。周りの人にたえず「問題」を出していたからだ。たとえばこんな具合。「私には双子の妹がいます。さて、私は双子でしょうか」。この問題、私を含む40代二人は「私は双子の一人」と考え、10代一人と80代一人は「私の下に双子の姉妹がいる」と考えた。母数があまりに少ないとはいえ、二対二で、「曖昧さ」が証明された格好だ。面白いのは、両者ともに自分の解釈に自信を持っていて、他方の解釈に驚いたことだ。つまり、表現が曖昧であることは必ずしも人が解釈に迷うことを意味しない。正しく理解していると思いながら、実は相手とすれ違っている可能性も大いにあるということだ。本書が意識させてくれるのはそこである。そしてその可能性を面白がらせてくれる。
だから、本書は誤解なき伝達を理想としたハウツー本ではない。その証拠に、「おわりに」で著者はヴァーツラフ・ハヴェルの『通達』という戯曲を通し、曖昧さのまったくない言語は却(かえ)って混乱を引き起こすと述べている。読んだら人にたくさん話したくなること必至の書である。(ちくまプリマー新書、990円)