<書評>『正力ドーム VS. NHKタワー 幻の巨大建築抗争史』大澤昭彦 著
[レビュアー] 武田徹(ジャーナリスト・評論家)
放送局の自己顕示欲を追う
テレビ放送免許の取得で日本テレビに後れを取ったNHKは、本放送を日テレに約半年先んじる1953年2月に開始して雪辱を果たした。
それでは、こうした日本のテレビ黎明(れいめい)期に放送電波はどこから送出されていたか。都市計画・建築が専門の著者が「テレビ塔」の歴史をたどった本書によれば、放送開始にあたって日テレ初代社長の正力松太郎は千代田区二番町に当時の東京で一番高い154メートルのテレビ塔を建てた。ラジオ用設備でテレビ放送をしていたNHKは、日テレに負けじとより高い178メートルの塔を紀尾井町に建てて対抗する。
こうして勃発したNHKと日テレの「テレビ塔戦争」で、正力の日本一、世界一への執着の凄(すさ)まじさが印象的だ。プロ野球チームを所有し、ドーム球場の建設にもこだわった正力はドーム設計の第一人者バックミンスター・フラーの知己を得る。そしてフラーの奇才と正力の執念が共振し、富士山をしのぐ高さ4000メートルのタワーの青写真が描かれたこともあった。
こうした妄想じみた計画を経て、世界最高を狙いつつもより現実的な高さ550メートルの「正力タワー」構想を打ち出した日テレに対し、NHKは国民の共有財産である電波の送信施設は公共放送局が建設すべきだと主張。放送の周波数帯を変えようとする国策や64年東京五輪などの機会を巧みに利用し、高さ600メートルの塔を代々木公園に作ろうとする。
しかし、正力タワーもNHKタワーも結局、未完に終わった。地上波デジタル放送対応の新しいテレビ塔「東京スカイツリー」を建設したのは放送局ではなく、地権者の東武鉄道だった。衛星波やネットが利用可能になって地上波テレビ局が圧倒的な影響力を独占していた時代が終焉(しゅうえん)を迎えるとともに、自らの偉大さの象徴として高い塔を求めた放送局の自己顕示欲も弱まったということか。
テレビ塔というモノに語らせることでメディアの栄枯盛衰の物語が描き出せることを本書は見事に証明している。
(新潮選書・1980円)
1974年生まれ。東洋大准教授。著書『高層建築物の世界史』など。
◆もう1冊
『SCRAPERS 世界の高層建築』ザック・スコット著、大澤昭彦訳(イカロス出版)