「おくのほそ道」を題材に現代の価値観に向き合う 30歳女性教師を主人公にしたロードノベルを執筆した兼業作家に話を聞いた

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

週末は、おくのほそ道。

『週末は、おくのほそ道。』

著者
大橋崇行 [著]
出版社
双葉社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784575527087
発売日
2023/11/15
価格
792円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

作品を作る、読むときには、文化の中で構築されたジェンダーがまとわりついてくる。その男女のジェンダーの断層に向き合い続けた一冊──古典の聖地巡礼をする女ふたり旅を描く『週末は、おくのほそ道。』大橋崇行氏インタビュー

[文] 双葉社


「おくのほそ道」を巡る(画像はイメージ)

 大学で教鞭をふるう傍ら、朗読部を舞台とした小説『遥かに届くきみの聲』で双葉文庫ルーキー大賞を受賞した大橋崇行氏。

 最新作の『週末は、おくのほそ道。』は、仕事や恋愛に疲弊した30歳の美穂が、高校時代にともに俳句甲子園に挑んだ旧友・空と、週末旅をするロードノベル。

 松尾芭蕉の『おくのほそ道』の名所を辿りながら、自分を見つめ直すなかで、彼女達は将来のために新しい選択をしていく──。大橋氏に、どのような思いを込めて本作を執筆したか、お話を伺った。

■古典の世界にはオリジナルや著作権という発想がない。そのことが現代の物語とは違う魅力に

──今作は美穂と空という30歳の女性ふたりが、『おくのほそ道』に登場する名所を週末に旅する物語。執筆のきっかけはどのようなものでしたか?

大橋崇行(以下=大橋):編集さんと新作の打ち合わせを始めたのが、2020年秋のことでした。新型コロナウイルスの感染対策のために、旅行はもちろん、外出することさえも難しくなっていた時期です。もし感染状況が落ち着いたらまずは少人数で国内の身近なところに旅行することになるだろう、ということで、それなら実際にそういう旅をする主人公たちを書いてみようと考えたのがきっかけです。
 今回も文学作品を題材にすることは当初から頭にあり、国内の旅といったら『おくのほそ道』(!)と、ここはかなり早い段階で決まりました。プロットを書き進めていく中で、実家に帰ることさえも難しいような日々が続き、「本当は会いたいのに、ずっと会うことができないでいる大切な相手と再会する」というストーリーが固まっていきました。

──作中で『おくのほそ道』からの引用や、それに対する美穂たちの解釈が書かれているのも面白いです。

大橋:古典的な作品は、それぞれの時代や場所で生きている読者が、自分たちの価値観から作品を読み直していくことで受け継がれていきます。時代や場所を越えて、現代の価値観ともリンクしてしまう部分があるからこそ、「古典」として生き存えることができているとも言えます。
 今回は特に現代の女性の視点から『おくのほそ道』を読むということで、最初に調べたのは、俳句甲子園で女性の詠み手がどういう句を作っているかです。それから、篠崎央子さん、神野紗希さんをはじめ、現代の女性の俳人の方が詠まれている句を読んで、そこで日常をどういう見方や言葉で切り取っているか、そうした視点から『おくのほそ道』を読んだり、『おくのほそ道』で描かれた旧跡を見たりしたら、どういうふうに捉えられるだろうかと考えていきました。
 作品を作る、読むというときにはどうしても文化の中で構築されたジェンダーがまとわりついてくるので、小説を書いているあいだずっと作り手、読み手それぞれの男性ジェンダーと女性ジェンダーの断層に向き合い続けた感じがあります。

──大橋さんにとって「古典」の魅力とはなんですか?

大橋:一つには、ずっと昔に書かれているはずの作品なのに、現代の視点から見ても共感できたり、現代の私たちと同じような思いを抱いていることに驚かされたりするという点です。
 それからもう一つ書き手の視点で言えば、古典の世界にはそもそもオリジナルや著作権という発想がないので、そのことがむしろ現代の物語とは違う魅力を持っているように思います。古典には、自分で新しい物語を作ろうとするのではなく、すでにある物語や表現を、それぞれの時代の視点や言葉で書き直して再創造していくという側面があるんですね。だからこそ、それぞれの時代にどういうふうに書き換えられたのかを見ていくことで、書き換え方の痕跡から、その時代の人たちがどういう価値観を持っていたのかが見えてきたりもします。
 これはつまり、古典を現代の価値観から翻案して、「私たちにとっての古典」を作り直していけるということでもあります。『週末は、おくのほそ道。』は、そういうところから古典の世界に入ってもらえたらおもしろいなと思いながら書いていました。

──美穂と空が1泊2日、あるいは2泊3日の「週末旅」をするというコンセプトは、どのようにして決まっていきましたか?

大橋:2021年の3月まで仕事の関係で愛知県に住んでいたのですが、週末に東京や関西に会議などの出張があることが多くて、ほとんど自宅にいられなかったんです。それで、ちょうど企画を立ち上げた当時、ほとんど毎週のように出張しているうち、こういうのを出張ではなく、旅行でしたら楽しいかもしれないと思うようになりました。その意味では、実体験をベースにしているとも言えるかもしれません。

──作中には実在の観光名所や、飲食店も多数登場して、ガイド本としても楽しいですね。大橋さんが実際に行かれた場所も多いのでしょうか?

大橋:以前、訪れた事がある場所もありますし、実際に今回の小説を書くに当たって行った場所もあります。大垣は、岐阜県で働いていたときに、ほとんど毎日通っていました。美穂が通っている書店さんや休憩しているカフェは、よく行っていたお店がモデルになっています。
 一方で、金沢はどういうわけか縁がなくて、行こうとするたびに電車が止まったり、仕事が入ったりして行けなくなるということが、まるで呪いのように何度も続きました。それで去年、富山で仕事があったときに、小説のこともあるし今度こそ金沢まで出ようと決意して、初めて行くことができた場所です。そのときは、作中で美穂が歩いたのとまったく同じ行程でめぐっています。それでも、作中には書いたもののまだ行けていない場所が実はまだいくつかあって、そういうときはGoogleマップのストーリービューを使って妄想旅行をして書いています。コロナ禍のあいだはずっとこの妄想旅行をしていたので、その経験が役に立ちました(笑)。

■10年以上闘病した父の死。「ままならない」出来事とどう向き合うか、読者と一緒に考えたい

──作中では主人公の美穂の高校教員としての頑張りや苦労がしみじみ伝わって来ますが、大橋さんも大学に勤務しながら執筆をされていますよね。

大橋:大学で教えるようになる前に9年間ほど高校生を教えていたので、どちらかというとそうした若いときの経験や、若い国語の先生方からお聞きした話を小説に取り込んでいます。ただ、今でも授業は毎年必ずやり方や内容を変えながら手探りで作っていくので、そのあたりは美穂と変わらないです。美穂よりは教員として働いている年数が長いので、そのぶん少しだけ余裕はあるのかもしれません。

──今回、作中にオリジナルの俳句も登場しますが、大橋さんが創作されたのでしょうか?

大橋:小説は学生時代から趣味で書いていましたし、ルーキー大賞を頂く前から何冊か出しているのですが、一方で詩や短歌、俳句の作品を作ることには、実はずっと苦手意識がありました。こうしたジャンルでは、短いぶんだけ言葉の密度を高めるというか、ひとつひとつの言葉が持っている情報量を多くしていく必要があるのだと思うのですが、そこで言葉が出なくなってしまうんですね。使いたい言葉と、表現したい内容とが合わなくなって考え込んでしまう。小説の前半で描いた美穂と同じような状態です。それなのに、『おくのほそ道』と俳句甲子園を題材にするという企画書を出したあとで、これって自分で俳句を作らないといけない!? ということにようやく気が付きました。

──あとから気が付いたんですね(笑)。

大橋:迂闊すぎます。それで、腹を括って自分で作ることにしました。ただ、本当にそこは素人なので、そのまま出すのはあまりに恐れ多くて、ゲラの段階で知り合いの女性の俳人の方にチェックして頂いています。自分が思っていたよりも評価して頂いたので、とても嬉しかったです。

──本作では、2011年の東日本大震災の「その後」についても描かれていますね。

大橋:『おくのほそ道』といえば東北の旅なので、どうしても東日本大震災の問題に向き合うことを避けて通れなかった作品でもあります。10年以上が経った今でも、震災の当事者の方でたいへんな苦労をされている方がたくさんおられます。そうした人たちに、当事者ではない私たちはどうあることができるのか、当事者ではない人間が出来事にどう関わり、どう語ることができるのかというのが、この小説のもう一つのテーマでもあります。もしかしたら、つらい出来事を忘却してしまうというのも一つの手段なのかもしれません。でも、10年以上ずっと闘病していた自分の父が一昨年、ちょうど今回の小説を書き始めた頃に亡くなって、それは違うなという思いもありました。そうした問題について、読んで頂いた方と一緒に考えていくことができればと願っています。

──今後書いてみたいテーマや舞台などはありますか?

大橋:2024年の1月上旬に初めての歴史小説の出版を予定しています。明治時代に活躍した、山川浦路という俳優の青春時代を描いたものです。古い映画が好きな方でしたら、上山草人の妻だった人と言ったほうが通じやすいでしょうか。

『遥かに届くきみの聲』や、今年の2月に出した落語を論じた本でもそうだったのですが、何かを表現することに携わっている人たちにずっと興味を持っています。歴史上の人物で他にも何人か書いてみたい人がいるので、いつか形になると良いですね。現代を舞台にしたものでは、そのように表現に携わっている人たちの中でのライバル関係から生じる人間ドラマをテーマにしたものを書いてみたいと思っています。それから、実は今回の小説で出身地である新潟を飛ばしてしまったのですが、実は新潟を舞台にしたものを書いていないので、さすがにいつか書かないといけないですね。

──最後に、これから読む読者さんへ、読みどころや楽しんでもらいところなどを教えてください。

大橋:新型コロナウイルスはまだ完全に収束したわけではないですが、日常がだいぶ戻ってきているので、美穂や空と一緒に旅をする気分で読んで頂ければと思っています。そして、作中で描いた『おくのほそ道』の旧跡に行ってみたいと思って頂けたら嬉しいです。また、二人の女性がままならない日常に一緒に向き合って、自分たちを取り戻しながら新しい生き方を模索するという物語なので、読んで頂いた方が、明日からの生活を活き活きと過ごしていくきっかけになればと思っています。

 ***

大橋崇行(おおはし・たかゆき)プロフィール
1979年、新潟県生まれ。大学勤務の傍ら、2012年に『妹がスーパー戦隊に就職しました』(スマッシュ文庫)、『小説 牡丹灯籠』(二見書房)など評論、小説を多数執筆。20年『遥かに届くきみの聲』で第1回双葉文庫ルーキー大賞を受賞。

COLORFUL
2023年11月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

双葉社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク