「脂肪のかたまり」――娼婦への同情が伝わる、モーパッサンの出世作

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脂肪のかたまり

『脂肪のかたまり』

著者
Maupassant, Guy de [著]/水野 亮 [訳]/高山 鉄男 [訳]/Maupassant Guy De [著]/モーパッサン ギー・ド [著]
出版社
岩波書店
ISBN
9784003255018
価格
497円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「脂肪のかたまり」――娼婦への同情が伝わる、モーパッサンの出世作

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 一八七〇年に勃発したプロイセンとフランスの戦争(普仏(ふふつ)戦争)は翌年にはプロイセンが勝利し、それを契機にドイツ帝国が誕生した。

 モーパッサン(一八五〇―九三)はこの戦争に一兵士として従軍。惨憺たる敗北にさらされた。本作(八〇年)はその体験から生まれている。師フローベールに絶讃され出世作となった。

 プロイセン占領下のセーヌ河畔の町ルアンから、町の有力者たちが脱出を図ることになる。乗合馬車に乗り、イギリス海峡に面した港町まで行く。

 貴族、商人、工場主、それぞれの夫人、修道女ら十人。なかにブール・ド・シュイフ(脂肪のかたまり)と呼ばれる太った娼婦がいる。一人だけ身分が違う。

 冬。馬車の旅は難航する。予定が遅れ乗客は空腹に襲われる。食料を用意していた娼婦は、鳥肉やパテ、果物を全員に分け与える。いたって気がいい。

 ようやく小さな町に着く。宿屋に泊るが、そこで足止めを食う。占領者のプロイセンの士官が出発を許可しない。どうも士官は娼婦の身体に用があるらしい。

 乗客たちは、それを知って怒り狂う。娼婦も無論、敵に身をまかせるつもりはない。ところが足止めが長引くにつれ、空気が変わってゆく。

 乗客たち、とりわけ夫人たちは、自分たちのために娼婦が犠牲になるべきだと考えるようになる。あからさまに態度で現わす。そしてついに娼婦は――。

 上流階級の人間たちの身勝手さ、精神の醜悪さが浮き上がる。モーパッサンの彼らへの怒り、娼婦への同情が伝わる。

 永井荷風はモーパッサンを敬愛した。『ふらんす物語』のなかで、自分がフランス語を学ぼうとしたのは、その著作を原文で読みたかったからだと書いている。「ああ、モーパッサン先生よ」と。

 お高くとまった連中より、娼婦のなかにこそ「黄金のハート」を見る作家の思いに共感したのだろう。

 馬車に乗り合わせた人間たちの間でドラマが起る。「駅馬車」(一九三九年)のジョン・フォード監督は、この映画は『脂肪のかたまり』そのものだと語っている。

新潮社 週刊新潮
2016年7月14日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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