『小説』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
小説 増田みず子著
[レビュアー] 佐藤洋二郎(作家)
◆書けない日々の心情綴る
本書を手に取って真っ先に驚かされたのは、著者の十九年ぶりの小説集だということだった。彼女ほどの小説家がどうしてと思い、初出一覧を見てみると、二〇〇八年から二〇二〇年までに雑誌に掲載されたもので、それ以外は書いていないらしい。
著者は幼い頃から小説家になることを望み、「内向の世代」以降の作家としていくつもの秀作を書いてきた。わたしはその姿を眩(まぶ)しく見つめていたが、作品は小説が書けなくなった五十代半ばから七十一歳までの日々の出来事が綴(つづ)られている。心情が素直に吐露されていて、こちらも書けない日々が続いたこともあるので、書けない苦しみは同業者として心が揺さぶられるものがあった。十代での家族との確執。高校で一年先輩だった夫と結婚した喜び。孫のような青年を好きになる戸惑い。老いてスポーツをやる愉(たの)しみ。認知症になった両親を見つめる目。それら日々の暮らしを通して作家の生きざまが見える作品で、切り口のいい短編集だ。久しぶりに小説というものを堪能した。
とりわけ著者の理解者としての文芸評論家の秋山駿(しゅん)に対する畏敬と尊敬は、この小説家の書く心構えを支えている。やはり言葉こそが人生の道しるべなのだと意識させられたが、その秋山駿は「自分の足元を深く探れ」と助言し、著者はその言葉を暗闇の灯として書いてきた。
一つの言葉が小説家を育てたということにもなるが、著者はその言葉に呼応し目線を低くし、自己を深く見つめて書いてきた。いい師弟関係だったのだと羨(うらや)ましくもあるが、作家はいい編集者や文芸評論家に恵まれた者のほうが力を出していく。なぜなら彼らに向かって書いていくからだ。
また本書の根底には「生老病死」の問題が流れている。それは私小説家の一つのテーマでもあるが、明治以降、彼らの多くはそのことを書いている。その上それら私小説を書く文人は男性が多いが、この作品は女性作家の私小説を描いたものと称賛できるのではないか。いずれにせよいい短編集だった。
(田畑書店・2200円)
1948年生まれ。『月夜見(つくよみ)』で伊藤整文学賞。芥川賞には最多の6度候補に。
◆もう1冊
増田みず子著『シングル・セル』(講談社文芸文庫)。1986年に泉鏡花賞受賞。