スポーツから非認知スキルを習得できるか? 『経済学者が語るスポーツの力』試し読み

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 来年の抱負として「運動」を掲げる方も多いのではないでしょうか。
 健康維持・増進はもちろんのこと、スポーツを通して社会生活全般において必要な「非認知スキル」が培われ、なんと将来の所得にも影響を与えるといいます。
 今回は、そうしたスポーツと経済の繋がりを考察した一冊『経済学者が語るスポーツの力』(佐々木勝 著)より、「第1章 スポーツから非認知スキルを習得できるか?――勉強だけでなく協調性、統率力、根性も社会人には必要」を一部公開します。

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第1章 スポーツから非認知スキルを習得できるか?――勉強だけでなく協調性、統率力、根性も社会人には必要

はじめに
 多くの中学生や高校生は学校教育の課外活動として運動系の部活動に参加したり、小学生の場合だと地域のスポーツ・クラブに所属したりして日々練習に励んでいるだろう。大学生もまた体育会系の部活動だけでなく、サークル活動のように有志が集まり自発的にスポーツ活動を楽しむ機会を持つことができる。課外活動におけるスポーツ活動の経験は、社会の一員として必要な人間形成に役に立つのはなんとなく理解しているが、その重要性をエビデンスとして定量的に評価することはあまり多くなかったように思われる。本章では、青少年期におけるスポーツ活動を通じて、社会人として必要な協調性、統率力、忍耐力・根性、気配り、思いやりの心などを示す「非認知スキル」を習得し、それが将来の賃金や昇進にプラスの効果があることを示す。

教育は自分自身への「投資」
 まず中高生に限定したうえで課外活動状況を概観する。図表1ー1のスポーツ庁の調査から中学生では掛け持ちも含めると運動部に所属している割合は72.5%、高校生の場合、54.5%となっており、過半数以上の中高生がスポーツに励んでいることがわかる。運動部だけでなく、文化部に所属している生徒も数多く、掛け持ちも含めれば、中学生の場合は20.3%、高校生の場合は28.1%になる。中学生に比べて高校生は運動部に所属する割合は低いが、それとは反対に文化部の所属割合は高くなっている。運動部にも文化部にも所属しない帰宅部の割合は、中学生が8.1%、高校生が19%と中学生の割合よりも2倍以上高くなっている。
 ノーベル経済学賞受賞者であるゲーリー・ベッカーの研究から始まった教育経済学の分野では、教育は自分自身への「投資」とみなし、そしてその投資により「人的資本」を増やすことで労働生産性が向上し、仕事や業務を遂行する能力の高い人材になって、高い賃金・給与(リターン)を稼ぐことができるようになる。これを「人的資本モデル」と呼ぶ。
 大学に進学するかどうかの意思決定を例にとって人的資本モデルのエッセンスを紹介しよう。まず大学教育に伴う費用というのは、入学金・授業料や書籍代のような直接費用だけでなく、もし大学に進学せずに高卒で働き始めていたら将来にわたって稼ぐことができる所得(逸失利益)も含まれる。さらには、教室で黙って教員の退屈な講義に耐えることも費用(心理的費用)と解釈する。もちろん、講義が面白く知的好奇心を刺激するような内容なら、心理的費用が少ないのはいうまでもない。
 教育投資の結果、さまざまな知識、技能を習得した4年後は労働生産性の高い、仕事ができる社会人になり、将来にわたって支払われる賃金、そして所得が高くなることを期待できる。これらが教育投資のリターンとして計上される。賃金がそれほど高くなくても、世間が称賛するような名誉な職に就くこともまた教育投資のリターンと解釈できる。もし皆さんが大学に進学をしたことがあるなら、大学教育に投資することで将来期待できるリターンがそれに必要な費用を上回っていると、高校を卒業した時点で判断したことになる。

スポーツ活動で培った非認知スキルが将来の所得に影響を与える?
 一般的に教育といえば、中高生の場合、課内活動で習う国語、数学、英語、理科、社会など学習指導要領に沿った内容を想定し、これらを学習することで「認知スキル」を習得し、その結果、労働生産性が向上すると考えられる。学校内での課内学習という人的資本投資が将来の賃金に与える効果に関する研究は非常に多く蓄積されている。
 しかし、将来、社会人として企業に就職し、高い賃金を稼いだり、重要な役職に昇進したりするのに必要なのは認知スキルだけでなく、もう一つのスキルである「非認知スキル」も必要である。非認知スキルとは、主に以下の五つのスキルを意味する。すなわち、①集団の一員として集団意思決定を円滑に進めることができる協調性、②目標のために望ましい行動をとる自己規律・自己管理、③リーダーとして同僚や部下をまとめることができる統率力、④困難な仕事にも果敢に立ち向かうことができる忍耐力・根性・闘争心、⑤部署内の上司、部下、同僚、パート従業員に対する気配りや思いやりができるスキルのことである。
 これらのスキルは会社という集団に属する人々の士気を高め、一体感を醸成させることに寄与することから、会社で求められる必要不可欠なスキルといえる。このような非認知スキルを持っていると社内で信頼され、次々と重要な仕事を任せられることになり、そして社会的な成功につながる。非認知スキルは人的資本を構成する一つと解釈できる。
 ノーベル経済学賞受賞者であるジェームズ・ヘックマンらを始めとする近年の研究では、認知スキルだけでなく、非認知スキルが労働市場における成功に多大な影響を及ぼしていることが実証的に明らかにされてきた。
 非認知スキルを習得して将来成功するためには、非認知スキルを習得できるような人的資本投資をしなければいけない。地域のスポーツ活動、そして学校の部活動はその人的資本投資の機会の一つとして捉える。スポーツ活動は、とくに集団競技では、規律正しい集団行動が求められるので、協調性や自己規律が涵養される。歯を食いしばって走ったり、球を追いかけたりすることで、忍耐力・根性、そして闘争心が鍛えられる。さらに、キャプテンになればリーダーとしてチームをまとめる統率力が身につく。選手だけでなく、マネージャーのような選手を支える裏方の経験も気配りという非認知スキルを習得する機会といえる。試合に勝ったり負けたりすることで相手選手や相手チームを思いやる心を持つ人材に育っていく。地域スポーツ活動や部活動としてのスポーツ活動を通じて習得した非認知スキルは、学業を通じて習得できる認知スキルと同様に労働生産性を向上させるのに必要なものであり、将来の賃金や所得を引き上げることに寄与すると考えられる。
 では、スポーツ活動で培った非認知スキルは、本当に将来の所得に影響を与えるのであろうか。以下ではこれまでの研究成果を紹介する。ジェームズ・ロングとスティーブン・カーディルは、1971年にアメリカの大学に入学した1年生を対象にしたデータから、大学の運動部に所属していた学生と所属していなかった学生で卒業する確率が異なっていたか、また1980年時点における彼・彼女らの所得に違いがあったかを検証した。彼らの研究によると、男女ともに運動部に所属していた学生のほうが所属していなかった学生よりも卒業率が高く、男性に限定すれば、運動部に所属していた学生は所属していなかった学生に比べて1980年時点での年間所得が4%高いことがわかった。
 同じように、ダニエル・ヘンダーソンらはアメリカの大学生を対象にスポーツ活動が将来の賃金に与える影響を推定した。ロングとカーディルの研究との違いは推定方法だけで、研究の目的と使用したデータは同じである。ヘンダーソンらの研究結果によると、卒業してから6年経った1980年の時点で運動部に所属していた学生のほうが、所属していなかった学生よりも賃金は平均1.5%から9%高かった。
 ジョン・バロンらの研究チームは高校時代に焦点を当て、運動部に所属していた学生と所属していなかった学生を比べて、どちらの学生のほうがより学業達成度が高いか、そして将来の賃金が高いかを検証した。その研究によると、運動部に所属していたアメリカ人の学生は所属していなかった学生に比べて学内成績がよく、高卒後の教育年数が長く、そして卒業後11~13年後の賃金は4.2~14.8%高かった。
 以上の研究から、研究対象者や卒業後の年数はバラバラであるが、運動部の経験は将来の賃金を約2%から15%引き上げることがわかる。
 ここまではアメリカ人を対象とした研究結果を紹介したが、次に日本のデータを使って課外活動の効果を検証した研究を見てみよう。梅崎修の研究ではスポーツ活動が賃金ではなく、就職活動の結果に影響を与えるかを検証した。ある特定の大学で同じ学部に在籍していた卒業生を対象に、学生時代にクラブ・サークルに所属していた人と所属していなかった人を比べて、就職できた企業先に違いがあるかを調べた。研究結果によると、スポーツ系のクラブ・サークルに所属していた人ほど第一志望の企業に就職できたことがわかった。しかも、彼・彼女らは、OB・OGネットワークをあまり利用していないことから、
スポーツ活動を通じて培った非認知スキルが評価されて採用されたといえる。
 そのほかにもスポーツの経験が昇進に有利であるかどうかを検証した松繁寿和の研究がある。松繁はある大学の同じ学部の卒業生を対象にしたアンケート調査から、学生時代の部活動と昇進の関係を検証した。そこでは、体育会系出身だからといって必ずしも昇進するとは限らないことが示された。それとは対照的に、むしろマネージャーや会計などの裏方の仕事に徹していた学生のほうが将来昇進する可能性が高いことがわかった。

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有斐閣
2021年12月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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