“村上春樹映画”だから盛り上がったわけではない 『ドライブ・マイ・カー』が世界的評価を受けるワケ

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(C)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 第94回米アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされた映画『ドライブ・マイ・カー』。妻を亡くした舞台俳優で演出家の主人公が、専属ドライバーの女性との交流をきっかけに、妻の秘密と自身の悲しみに向き合っていく物語だ。村上春樹の同名の短編小説が原作で、同作が収録された短編集『女のいない男たち』の他の作品からもアイデアを採り入れている。一方で東京大学名誉教授でロシア・ポーランド文学の研究者・沼野充義さんはこの作品を「村上―チェーホフ―濱口の三つ巴」の作品だと評し、単なる“村上春樹原作映画”ではないという。村上春樹やアントン・チェーホフに関する著書もある沼野さんが、映画『ドライブ・マイ・カー』の重層的な楽しみ方、また濱口監督が仕込んだ数々の仕掛けを解題する。

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 濱口竜介監督の新作映画『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹の同名の短篇小説を原作としている。というか、村上作品の映画化であることが話題を盛り上げる一要素になっていることは否定できないだろう。しかし、映画を観ると、村上春樹に負けないくらい、もう一人の作家の存在感がこの映画の中では強烈であることが分かる。それはロシアのアントン・チェーホフだ。ただし、村上とチェーホフという強力な2人の作家の「おかげ」で、ではなく、「にもかかわらず」というべきか、この映画はまぎれもない濱口竜介というもう一人の作家の作品になっている。というわけで、3時間近くもある長い映画を観終わって、観た側としても観ただけでもある種の達成感にひたっていると、「村上―チェーホフ―濱口の三つ巴」という言葉がひとりでに頭に浮かんだ。この三者の関係はいったいどうなっているのか。それを解きほぐしてみたい。

 映画のタイトルにもなっているという意味では、常識的には「原作」と呼ぶのが分かりやすい、村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」は、『女のいない男たち』(2014年)という短篇集の冒頭に収められた作品である。この本には珍しいことに作家自身が「まえがき」を書いて、成立事情やモチーフを説明しているのだが、それによれば「いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」を取り上げた作品集だという。「ドライブ・マイ・カー」の場合、主人公の家福(かふく)は俳優、二歳年下の妻もやはり女優で、「美しい顔立ちの」女性だ。家福は初めて出会ったときから彼女に強く心を惹かれ、それ以来彼女を愛し続け、裏切ることは一度もなかった。しかし、妻はじつは他の(少なくとも4人の)男たちと密かに性的関係を持っていた。妻はそれを隠していたが、家福はそのことを見抜いていた。それにしても、結婚生活は順調だったはずなのに、どうして妻にそんなことが必要であったのかが分からない。妻と腹を割って話し合う機会もないまま、妻は子宮癌を患ってあっという間に亡くなってしまう。家福は、妻の死後、彼女と「寝ていた」男と友だちになり、妻の気持ちを理解しようとしたのだが……。家福はいまだにわだかまりのように抱えているこういった過去の話を、一時的に運転手として雇った若い女性、みさきに話す。みさきは北海道の山の中で育ったぶっきらぼうで、むやみに煙草を吸う女性だが、なぜか家福は彼女にならこういう話をしてもいいという気になる。みさきは不幸な生い立ちらしいが、多くは語らない。

 これが原作となった短篇小説のあらましである。濱口竜介の映画では、これを言わば種子としてほとんど3時間もある大作に成長させているので、変更されている細部や大幅に追加されていることも多いのは当然だが、基本的にはこの設定がそのまま生かされていて、主要登場人物の名前もそのまま受け継がれている。

沼野充義(ぬまの・みつよし)
1954年、東京都生まれ。東京大学卒、ハーバード大学スラヴ語学文学科に学ぶ。現在、名古屋外国語大副学長。2002年、『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社)でサントリー学芸賞、2004年、『ユートピア文学論』(作品社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞。著書に『屋根の上のバイリンガル』(白水社)、『ユートピアへの手紙』(河出書房新社)、『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』(講談社)、訳書に『賜物』(河出書房新社)、『ナボコフ全短篇』(共訳、作品社)、スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会)、シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)など。

新潮社 新潮
2021年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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