時を越えて物語の扉を開け! 古道具店を営む兄弟のひと夏の不思議な冒険を描く  恩田陸 『スキマワラシ』試し読み

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太郎と散多は古道具店を営む兄弟。ものに触れるとそこに宿る記憶が見えるという弟の 散多は、古いタイルからこれまでにないほど強烈なイメージを受ける。そこに映し出されたのは幼い頃に亡くした両親の姿で――。タイルと両親にまつわる謎と、廃ビルで目撃された少女の都市伝説が交差するとき、物語の扉が開く。

恩田陸の、夏に読みたいミステリー『スキマワラシ』から一部を公開します。

 ***

第一章 兄のこと、名前のこと

 さて、これは確かに「スキマワラシ」についての話なのであるが、この件にまつわるもろもろのことを話し始める前に、やはりまず触れておかなければならないと思うのは、八つ年上の兄のことである。

 兄という人物のことは、身内からみてもいささか説明が難しい。いや、身内だからこそ難しいというのもある。考えてみてほしい。あなたは、自分の身内のことをどのくらい正確に他人に説明できるだろうか。

 長いこと一緒に時間を過ごしているからといって、その人物のことを理解できているとは限らない。むしろ、当たり前にそこにいる空気のような存在なので、もはやあえてどんな人物か考えないし、内面に踏み込まないのが普通だろう。

 言い訳がましくて悪いが、要は兄のことを僕自身あまり分からないので、分かるところから――とりあえずは、よく聞かれることから話しておく。

 兄は僕に話しかける時(いや、話しかけない時もある。独り言をいう時も、兄はしばしばこの文句から始めるからだ。恐らく、兄の中では口を開く時のきっかけ――いわばドアのノックのようになっていると解釈すべきであろう)、必ずといっていいほど「弟よ」と呼びかけてから始める。

 僕は慣れっこだが、これは、他人が聞いた時に非常に面喰らうし、奇妙に思うことらしく、大概の人は「えっ」という顔で兄を見、次に呼びかけられた僕を見る。

 兄は平然としている上に僕も「なあに、兄ちゃん」と普通に返すため、そこでようやく、他人はこの呼びかけがこの二人のあいだでは日常であると気が付くようだ。

 だが、そこから先の反応はさまざまに分かれる。知らんぷりをする人もいるし、笑い出す人もいる。「いつもそうなの? なんでそうなの? いつからそうなの?」と不思議そうに質問攻めにする人もいる。

 しかし、ここから先の説明もまたしにくい。

 そもそも、兄がこんなふうに僕に呼びかけるようになったのは、僕のせいなのだ。いや、正確に言うと、決して僕のせいではなくて、僕の親のせい、ということになるのだが。

恩田陸
1964年宮城県生まれ。早稲田大学卒業。91年に第3回日本ファンタジーノベル大賞候補作となった『六番目の小夜子』で、翌92年デビュー。2005年『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞、第2回本屋大賞を受賞。06年『ユージニア』で第59回日本瑠入り作家協会賞長編及び連作短編部門を受賞。07年『中庭の出来事』で第20回山本周五郎賞を受賞。17年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木賞、第13回本屋大賞をダブル受賞。

集英社
2023年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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