「八百万の神」を持ち出すまでもなく、日本人は自然に神々を見出すという説は強い支持を得ている。対比されるのは「一神教」的な思想である。
西洋的な考え方では自然は征服の対象とされ、日本人にとっては畏敬の念を持つべき共存の対象となっている、といった解釈を唱える人もいる。
「SDGs」「環境保護」が盛んに叫ばれる現代の視点で考えれば、日本的な思考のほうが先端を走っていたと言えるかもしれない。が、もちろん「西洋的な考え方」などと乱暴に一括りにできるものでもない。たとえば17世紀のオランダで生まれ、近代哲学の礎を築いた一人でもあるベネディクトゥス・デ・スピノザは自然への謙虚な姿勢の重要性を説いた。その思想は、我々日本人にも実に馴染みやすいものだといえそうだ。
アインシュタインにも大きな影響を与えたスピノザの「自然観」とはどのようなものだったのか? 比較文学者の大嶋仁さんの著書『1日10分の哲学』をもとに見てみよう(以下、同書を引用・再構成しました)。
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ダーウィンの進化論を認めない学校も…自然科学の敵である西洋の宗教的世界観
だいぶ昔のことだ。メキシコから家族連れで日本に来た大学教授が、あるとき自宅に呼んでくれた。奥さんがメキシコ料理をふるまってくれるというのだ。
小学生の娘さんがいて、スペイン語を忘れないためにメキシコの小学校で使っている教科書を何冊か持っていた。そのうちの一冊をのぞいてみると、「人間は考えます。動物は考えませんが、動けます。植物は考えもせず、動くこともできません」とあった。これには驚いた。今どき、こんなことが教えられているとは信じがたいと思った。
もっとも、40年前のことだ。今なら、こんな教科書は使われていないだろう。あそこにあったのは中世ヨーロッパの自然観そのもの。20世紀に至るまで、それが変更されずにいたとは。科学技術の進んだアメリカでも、いまだにダーウィンの進化論を認めない学校があると聞く。西洋の宗教的世界観は自然科学の敵なのである。
だが、それほどに宗教の影響力の強い西洋で自然科学が発達したとは、考えてみれば不思議である。科学の源には懐疑があるから、信仰と両立しなくて当然なのだが、信仰心のつよい人の多い中からそれを否定する思想が出てくるとは、これだけでドラマではないだろうか。
神が自然を創造した「キリスト教」と自然が神になり得る「仏教」
中世キリスト教の世界観は、古代ギリシャの自然観と聖書の自然観を矛盾しないようミックスしたものだ。もともとはまったくちがう自然観の合成だから、亀裂が入ってもおかしくない。しかし、その亀裂は徐々にしか広がらなかった。コペルニクスやガリレオが教会権力に苦しんだゆえんである。
日本に入った仏教は「山や川や草木にも仏となる可能性がある」という思想を持つ。西洋の自然観とはあまりに違う。戦国の世にキリシタンとなり、やがて信仰を捨てた不干斎ハビアンは、「キリスト教では神が自然を創造したというが、自然は自然に成ったから自然なのだ」とキリスト教を攻撃した。「自然」という言葉には「おのずから成る」という意味があるのだ。
西洋では宗教の影響が弱まった近代になっても、「人間には理性があるが動物にはそれがない」といったキリスト教的自然観が支配的である。知性をもつ唯一の生物である人類が世界の支配者で、他の生き物の上に立っているという考え方はいまだにつよい。
しかし、現代はエコロジーの時代で、サステナビリティーとか動物愛護とかが謳われ、自然に優しい時代になったのではないか? 必ずしもそうとは言えないというのも、これら流行概念はいずれもが人類中心主義であることに変わりないからだ。
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