百年で読み直す漱石の文明批評

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夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集

『夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集』

著者
小森 陽一 [編集、著]/夏目 漱石 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784040820781
発売日
2016/05/10
価格
836円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

百年で読み直す漱石の文明批評

[レビュアー] 小森陽一(日本近代文学研究者)

「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け様とする。」

 漱石夏目金之助が一九〇六年九月に雑誌「新小説」に発表した『草枕』の末尾近くの一節である。ここに漱石の文明批評の基本的立場が表れている。

 那古井という温泉場に「非人情」の旅をしに来た西洋画家。彼が、そこで出会った那美さんという女性の従弟を日露戦争の戦場へと、また彼女の元夫で破産した銀行家を出稼ぎの場へと送り出す、汽車の停車場での感慨である。

 二人の男性が向かうのは同じ満州の地。大日本帝国が大英帝国と日英同盟を結んで、シベリア鉄道を完成させつつあったロシアに対して始めた、帝国主義戦争としての日露戦争。その三年目の春の出来事である。

「汽車」が「代表」する、「二十世紀の文明」とは帝国主義戦争のこと。徴兵制度によって集められた兵士たちは、「汽車」に「積み込まれ」、戦場に「運搬」されるのだ。集められた兵士には、「個性」を持つ個人としての権利も自由もない。

「個性」とは天賦人権論に基づく人間としての不可侵の権利を行使して、初めて実現しうるのである。一七七六年の「ヴァージニア権利章典」、一七八九年のフランスの「人および市民の権利の宣言」によって、人類の「文明」は「個性を発達せしめたる」かに思えたが、ブリュメール一八日のクーデターで、ナポレオンが執政となり、フランス革命の息の根が止められた。その段階で、強制徴兵制度に基づく軍隊が、フランス、ドイツ、ロシア、大日本帝国に構築され、「あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け」るようになったのだ。

 強制徴兵制度こそ、帝国主義の時代をもたらした。だからこそ、『草枕』の「画工」は言う。「第二の仏蘭西革命は此時に起こるのであらう。個人の革命は今既に日夜に起りつつある」と。

 一世紀前の一九一六年一月の「朝日新聞」に漱石夏目金之助は『点頭録』というエッセイを発表した。開戦から三年目に入った「欧洲大乱」(第一次世界大戦)について意見を求められた漱石は、ドイツが勝つか連合国が勝つかというよりは「独逸に因つて代表された軍国主議が、多年英仏に於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐる」と応じている。

 漱石の憂慮は「個人の自由を重んずる国」であるはずの「英吉利」で、「強制徴兵案」が「百五対四百三の大多数」で議会を通ったことにあった。この事実を「独逸が真向に振り翳してゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない」と漱石は受けとめている。「英国は精神的にもう独逸に負けた」のである。

 二〇一六年三月二九日に戦争法制が施行された日本において、漱石の言う「強制徴兵」の問題は、にわかに現実性を持ってきている。百年前の漱石の文明批評の射程は、私たちが生きている、ここに、しっかりと届いている。とりわけ「修善寺の大患」の後、自らの死を強く意識するようになってからの関西での連続講演は、帝国主義時代に突入した「文明」の本質を鋭く切り出している。

 本書には、関西での連続講演と、第一次世界大戦勃発後、日英同盟に基づき、大日本帝国が参戦し、ドイツ東洋艦隊の基地であった青島を占領した一九一四年一一月に学習院で行われた「私の個人主義」を収録した。

 百年前の漱石の文明批評の言説によって、百年後の、私たちの生きる時空を照射することは、「今既に日夜に起りつつある」「個人の革命」を本気で実現することなのである。

◇角川新書◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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