「茶の湯」で戦国を平和に導いた小堀遠州という男

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孤篷のひと

『孤篷のひと』

著者
葉室 麟 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041046357
発売日
2016/09/30
価格
1,782円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「茶の湯」で戦国を平和に導いた小堀遠州という男

[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)

 桶狭間の戦い前夜、信長は「敦盛」のこの一節を謡い舞ったという。今川義元を討ち取り勝利した織田氏はその後、畿内を制圧し急成長を遂げていく。だがそれからわずか五十年のうちには豊臣家が栄え、天下分け目の関ヶ原で徳川家康が勝利して、徳川幕府が開かれる。まさに夢幻のごとく時は過ぎ去っていったに違いない。

 小堀遠州(幼名・作介、名は政一)は天正七年(一五七九)、小堀新介正次の長男として生まれ、その父に従い羽柴秀吉の弟、秀長の小姓として仕えた。秀長が病没し、遺領を継いだ秀保も亡くなった後、秀吉の直臣となったが、その秀吉の死後、関ヶ原の戦いで徳川方に付く。

 徳川が勝利し、備中国松山で一万石の加増を受けた新介が急逝すると、遠州がその遺領を継いだ。作事奉行として駿府城や禁裏、二条城など多くの普請に携わり、建築と造園の才能を発揮してきた。

 また幼いころより新介について茶に親しみ利休七哲のひとり古田織部に師事して茶の道を極めた。遠州の茶は「綺麗さび」と呼ばれ美しく立派であると巷間には言われ、利休、織部に次ぐ大茶人であるという声もあった。織部亡き後は大名茶の総帥となり多くの大名茶人を指導したという。遠州という名は慶長十三年(一六〇八)に従五位下遠江守に叙せられたところから、そう呼ばれるようになった。

 遠州は、本能寺の変ではまだ幼児であったにせよ、その後の豊臣家の隆盛から関ヶ原の戦いを経験し、徳川家康によって世の中が平定される流れを具
に見てきたのだ。

 六十八歳になり、徳川幕府の伏見奉行を務める遠州のもとをさまざまな人物が訪れる。客は茶の湯を共に親しんだ誰よりも語り合える相手である。

 訪うのは奈良の豪商、塗師屋の松屋久重、作庭を手伝ってきた得難い家臣の村瀬佐助、「綺麗さび」の茶と並び称される華やかな「姫宗和」の茶人として名高い金森宗和、義理の弟で作庭の右腕となった中沼左京、弟子の五十嵐宗林、医師の宗由、絵師の狩野采女、鹿苑寺の鳳林和尚。

 語り合うのは、嘗て遠州が関わった戦国の世の荒々しい歴史の裏で、ひっそりと行われた交渉事。遠州は大名茶の総帥として、禁裏や名刹の作庭を行った作事奉行として、何よりも千利休の流れを引く、古田織部の弟子として、争い事を丸く収める画策をしてきたのであった。

 思い出は次々甦る。一緒に関わりのあった茶道具の姿もまた思い出される。各章に付けられた題名はそれらの銘である。

「白炭」は湯を沸かす折に使う特別な炭。遠州は自ら炭焼き窯を作り焼いていた。そこには利休とも織部とも一線を画する、遠州のこだわりがあった。

「肩衝」は茶入れの壺で肩が張った形のもの。織田信長が所有していたという勢高肩衝が石田三成と似ていた、と遠州は語る。肩肘を張り、背筋のすっきり伸びた後ろ姿には孤独な翳りがあった。

「投頭巾」も茶入れの銘。「此世」は香炉。「雨雲」は楽茶碗。「夢」は掛け軸。「泪」は茶杓。「埋火」は灰被天目茶碗。「桜ちるの文」は掛け軸。そして「忘筌」は遠州が普請した茶室の名。茶の湯はいつも密室で行われた。天下が覆るような争い事もあれば、男と女の濃やかな秘め事もあった。人に恨まれることも疎んじられることも、反対に慕われることもあった。

 遠州の近くにはいつも六歳下の妻、栄がいた。思い出を友と妻に語り終えた後、遠州は悔いのない人生を終える。自らを一艘の目立たない篷舟に喩えた。だが孤舟ではなかったと、栄に呟く。権謀術数の限りを尽くした遠州の、晩年の心の動きだけを描いた静謐な作品なのに、読み手はなぜか胸が躍る。あの日あの時の謎解きに、手に汗握り読みふけってしまうのだ。葉室麟の上手さが随所に光る。茶の湯で戦国の世を平和に導いた一人の男の生涯は、悔いのないものだったに違いない。

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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