物を書く夫を持ったことが百合子の書く態度を決定した

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物を書く夫を持ったことが百合子の書く態度を決定した

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 世の中には、書いたものが活字になって読まれたいと願う人がたくさんいる。その一方で、望まないのに、書いたものが活字になって人生の成り行きが変わる人もいる。

 武田泰淳の妻、百合子が最初の著作『富士日記』を出したのは五十二歳のとき、夫の死の翌年だった。泰淳に書きなさいと言われて付けた十三年分の日記を出したいという出版社の申し出を、百合子はうれしがったわけでも、光栄に感じたわけでもなかった。だが、日記が発表されると原稿依頼がつづき、その後、四冊の著作が出る。

 本書はそれらの著作に未収録のエッセイを没後二十五年に際してまとめたものだ。読みながら、改めて感じたことがある。それは物を書く夫を持ったことと、その姿を見て暮らしてきたことが、百合子の書く態度を決定したということだ。

「身のまわりの世話をしたからといって、口述筆記など手伝ったからといって、ものを書く人との間には千里のへだたりがある」

 自分は職業作家ではないという自意識が彼女の矜持となったのである。自分に似合わない言葉は使わない、知識をひけらかさない、世の中にもの申す的な言い方はしない。

 感じたとおりに書くとそれがそのまま思想となって結実する、そんな文章がこうして出来上がった。

 ずば抜けた観察力と描写力の持ち主である。人の性格も、人柄も、考えている内容も、動作や表情をじいっと見ていればわかる、そう信じているかのように全身を使って相手に見入る。口が言うことより見えているものに注目したほうが確かであるのを、起伏ある人生で実感したのだろう。

 眼差しの強さに引き込まれて、五百ページを超える厚みが見る間に減っていく。とりわけ心に染み入るのは泰淳の死に触れた人々の姿を描いた文章だ。相手の体の動きに現れでる哀しみを見つめるうちに、彼女の心は平らかになっていく。

新潮社 週刊新潮
2017年4月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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