このまま黄昏れちゃっていいのか、人類/島田雅彦『カタストロフ・マニア』刊行記念特集

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カタストロフ・マニア

『カタストロフ・マニア』

著者
島田 雅彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103622093
発売日
2017/05/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

このまま黄昏れちゃっていいのか、人類

[レビュアー] 島田雅彦(作家・法政大学教授)

 二〇一一年の三月十一日以後、電力供給が途絶えた世界で暮らすことの想像力が刺激され、何処で何をしていても、ひとまず自分から電気を遠ざけてみるのが癖になった。原発稼働賛成派が反対派を黙らせる時のいいぐさとして「あんたも原発で発電した安い電気の恩恵を受けている」とか、「そんなに原発の電気が嫌なら、電気を使うな」といった政府や東電擁護の「正論」を聞かされるたびに、いっそこの世界を完全に停電させてしまいたいと思うようになった。共謀罪の施行によって、今後は小説中でカタストロフを引き起こしたり、テロやクーデターを実行することが難しくなりそうなので、今のうちにおのが破壊願望を百パーセント解き放っておこうと思って書いたのが『カタストロフ・マニア』である。

 太陽のしゃっくり、つまりコロナ質量放出が起きれば、この地球上の電力をいとも簡単に喪失させることができる。東京上空にオーロラが見えたら、それはカタストロフの始まりである。地球表面をあまねく覆った電力網、電波網は巨大な磁気嵐に完全に破壊される。鉄道、水道、ガス、通信、あらゆる都市インフラは電気制御だから、都市の日常を支えるあらゆる機能が停止してしまう。原発が電源喪失すると、メルトダウンすることは福島第一原発で見せつけられた。

 カタストロフ後の初期化された世界で生き延びるには、まずはライフラインを確保しなければならない。それは産業革命のプロセスを律儀に辿り直すことに近い。始めのうちはコンビニやスーパーに残った食料、生活必需品を漁る都市部での狩猟採集生活で何とかなるが、その後は水、食料、燃料、情報などの調達に苦労することになる。川の水の濾過や燃料になる薪探しを始めることになる。電力復旧にこだわるなら川の流れを利用した小規模水力発電かソーラー発電を試せるが、その間も放射能汚染は広がる。ネットやコンピューターが使えないカタストロフ後は、図書館が文明再建のノウハウが蓄積された情報センターになる。公園や空地は食料生産に活用され、肥溜めが復活し、誰もが食うための労働を余儀なくされる。都市部にとどまること自体が生存に不利になるので、各地に分散し、小集団の共同体を形成し、分業体制を構築するのが生き残りに最適なライフスタイルになる。ナチスによるポグロムを経験した後、ユダヤ人たちはイスラエルを建国したが、ロシアからの移住者たちを中心にキブツとよばれる集団農場が各地に作られた。私はそのうちの一つに滞在したことがあるが、それはカタストロフを経験した人々が辿り着くライフスタイルだったのかもしれない。

 本作では太陽のしゃっくりに加え、合成ウイルスが原因のパンデミックが重なり、人類史始まって以来の大淘汰が起きる。現在、各国で増殖中の愚かな為政者なら、このカタストロフを政治利用し、適者生存の原理を捏造し、生き残る人類の選別を行うだろう。大量死の主な原因は政治とテクノロジーが作り出す。大量破壊兵器の発明、スターリンの大粛清や毛沢東の大躍進政策のような愚策。それを念頭に置き、政治とテクノロジーのグロテスクな結託がカタストロフをさらに押し進める展開となる。本作において、人類は二度滅ぶのである。

 近未来においては人工知能が人類の存亡の鍵を握っているとされる。産業界では用途を特化した開発と投資がさかんで、道徳的な規制に縛られたくないため、汎用型人工知能による人類淘汰というディストピア的発想をSF的紋切り型として一線を画したいようだ。しかし、元来、人間の発明品である「全知全能の神」は人類を過酷かつ理不尽な運命に陥れてきた。人類が作った神によって滅ぼされるのであれば、それは人類の自業自得といい換えることもできるが、そのような神はフィクションでしかなく、神とはすなわち自然のことであるというスピノザの定義に従うなら、実際に人間を滅ぼそうとしたのは「自然」だったということになる。文字通り、天災で滅ぶという意味と無数の要因が重なり合い、自然の成り行きとしかいえない事情から滅ぶという二重の意味がそこにはある。科学はそのように曖昧で、実証できない問題は扱わない。科学的であろうとする産業界も同様だ。したがって、滅亡問題は文学で扱うしかない。小松左京の『日本沈没』以来の文学的パンデミックが起きることを筆者は待望している。

新潮社 波
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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