<書評>『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』風元(かぜもと)正 著

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江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか

『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』

著者
風元正 [著]
出版社
中央公論新社
ISBN
9784120057519
発売日
2024/02/21
価格
2,750円(税込)

<書評>『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』風元(かぜもと)正 著

[レビュアー] 與那覇潤(評論家)

◆素朴でありたいと願い続け

 誰も死なない文学史はありえるだろうかと、ふと思う。

 生成AIの隆盛に照らすと「日本の戦後を讃(たた)える文章を、あえて三島由紀夫の文体で」といった注文も、遠からず応えてもらえそうだ。そうして好みの文豪の「新作」をAIに代筆してもらえば、ある意味で彼らが「ずっと生きている」のと同じ状態は作れる。

 だが問題は、そんな読書が幸せかということだ。

 本書の主人公である江藤淳は1978年、新聞での文芸時評の筆を折ってまで、占領時代にGHQが行った検閲の研究へと向かった。その成果である『閉された言語空間』は今日、米国による日本人の「洗脳」を説く陰謀史観だとして、評判は悪い。

 しかし文章の背後に書き手の人生がすなおに浮かびあがらない時代が来ることを、江藤は見抜いていたと著者はいう。現に読者が「本人が書こうが、AIが生成しようが同じだ」と割り切るとき、私たちの言語空間は他者へと開かれずに、閉じるだろう。

 1902年生まれの小林秀雄なら、日本の戦争を容認したかつての自分も含めて、すべてを隠さず書き続ける覚悟ができていた。14年生まれの丸山眞男(まさお)は、敗戦直後の国民の素朴な理想主義が、そのまま育つとの信念に賭けた。

 最も苦境に立ったのは32年生まれの江藤の世代だったと、著者は見る。学童の時期に敗戦を迎えた彼らには、戦前も戦後も、自分が生きる人生としてしっくりこない。

 若手論客として60年安保に臨んだ江藤は、沸騰する民意に揉(も)まれ、もはや日本の民主主義が純朴ではないと知る。意外に居心地がよかったのは、日本人も数ある人種の一つとして放置する留学先の米国だったが、敗戦の経緯がありすなおに喜べない。

 素朴でありたいと願う欲求を暴発させ、自死に至った三島や江藤に対し、大江健三郎はよく辛抱したと位置づける著者の評言が重い。かつて闘いなしには、書くことも黙ることも困難な時代があった。戦後とはそこに建つ慰霊碑の名であり、文学は斃(たお)れた兵士を飾る勲章である。

(中央公論新社・2750円)

1961年生まれ。文芸評論家・編集者。出版社で雑誌や単行本を編集。

◆もう一冊

『妻と私・幼年時代』江藤淳著、追悼文3本、年譜、與那覇潤の解説(文春学藝ライブラリー)

中日新聞 東京新聞
2024年3月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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