『俺はエージェント』
書籍情報:openBD
ロートルと素人が巨悪を追い詰める!
[レビュアー] 西上心太(文芸評論家)
一九六〇年代は東西冷戦を背景にしたスパイ小説が隆盛を極めた。ジョン・ル・カレに代表されるシリアスなものだけでなく、007シリーズの二番煎じを狙ったB級スパイアクション小説が徒花(あだばな)のように咲き誇った。評論家の石川喬司(たかし)はマジメスパイと名付けた前者に対し、後者をマンガスパイあるいはアソビスパイと揶揄したものだ。
本書の主人公村井は、B級スパイ小説好きが高じてエージェントに憧れる三十間近いフリーター。行きつけの大衆居酒屋で飲んでいると、白川という七十過ぎの常連の一人が電話口に呼び出される。そしてその時から村井の平凡な日常は終わりを告げる。白川は村井に向かい、自分はシークレットエージェントであり、先ほどの電話によってある命令が発動し、現役に復帰することになったと告げ、協力を求めるのだった。
酒場でくり広げられるスパイ小説談議と小説の中のスパイに憧れる今どきの若者、そして白髪頭に雪駄(せつた)に着流しという一昔前の極道のような白川の姿。時代錯誤を前面に押し出したコメディタッチの味わいが、ある人物の瞬時の行動を境にして一変する。さらに村井の意外な役割が明かされるとともに、誰が味方なのか敵なのか判然としない、本格的な諜報の世界に投げ込まれていく。
冷戦という対立構造の崩壊によって世界はより複雑化し、トップエージェントたちの技術や経験は国家以外の組織に流れるようになった。ロートルと素人というコメディ調の組合わせの背景に、そのようなリアルな背景を用意しているのである。つまり作者はマジメスパイとマンガスパイのハイブリッドに挑んだのだ。そしてその試みは見事に成功したといっていいだろう。快作!