“人をその人たらしめているのはなにか”根源的存在論を問いかける
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
「一体、愛に過去は必要なのだろうか?」。本書終盤での問いかけは、すなわち人は人のなにを愛するのか?という問いに、ひいては、人をその人たらしめているのは何なのか?という根源的な存在論に行き着く。
ある女性が度重なる不幸の後に再婚。ところが、夫は伐採業務中に事故死し、名乗っていた「谷口大祐(たにぐちだいすけ)」とはまったくの別人だったという事実が発覚する。では、何者だったのか? 遺された妻「里枝(りえ)」は旧知の弁護士「城戸彰良(きどあきら)」に調査を依頼する。
主人公は数奇な運命をたどる里枝ではなく、あえて弁護士の方に設定されている。城戸が謎の男「X」の正体を追う物語が本筋に見えて、実はそれを通して彼が自らの夫婦、親子の問題、ひと時の恋心、死刑や被災者支援にまつわる思想、そして在日三世としてのルーツと向き合うことが主眼である。
しかし語り手は城戸本人ではなく、メタ階層の序章にのみ登場し、バーで彼と出会う小説家だ。著者の分身的語り手が初めに“実在モデル”を紹介し、物語概要を話すこうした手法は、クラシックな西洋文学を髣髴させ、物語への巧みな導入となる。
このとき城戸がバーで行う“なりすまし行為”が本作のキーノートにもなり、本編では別な文脈で反復される。作中には、闇ブローカーを介した戸籍交換、Facebookの偽アカウント作り、工作員が用いるという「背乗(はいの)り」など、多種多様ななりすましが出没する。「X」の正体は半ば過ぎで当たりがつくものの、間に幾人もの偽者がいて真相はなかなか掴めない。マグリットの絵画「複製禁止」や芥川龍之介の戯曲『浅草公園』、里枝の息子が詠む俳句がモチーフを多彩に変奏する。本作は著者が近年唱える「分人」という概念の大胆な発展形と言えるだろう。
「蛻(ぬけがら)」の生をひたむきに生き継いだ「X」の晩年を思うとき、冒頭に引いた古典的な問いは新たな重みをもつだろう。