領土争いとファシズムと人種差別に引き裂かれた欧州、村、ある一家…ダムに沈んだ「クロン村」の物語

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この村にとどまる

『この村にとどまる』

著者
マルコ・バルツァーノ [著]/関口 英子 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784105901929
発売日
2024/01/31
価格
2,365円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

国境を引きなおされ、湖の底に沈められた彼女たちの悲しみ

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

 ダム建設により水没した実在の村の物語だ。

 一九二三年、領土争いとファシズムと人種差別が席巻していたヨーロッパ。物語の舞台となるのは、オーストリアとイタリアとスイスの国境に近い谷間の村クロンだ。現在イタリアの州に属するこの土地は、もとはオーストリア・ハンガリー帝国領だったが、本作の始まる数年前にイタリアに割譲され、やがてヒトラーの介入にあう。

 そうして幾度も国境を引きなおされてきた土地だ。

 語り手は、トリーナというドイツ語教師の女性。ドイツの移住政策で生き別れになった娘マリカに直接語りかける形で綴られていく。国と国の対立は、大きな視点でいえばヨーロッパを、ローカルな視点でいえば一つの村を、個人の視点に立てばある一家を引き裂いたのだった。

 クロン村には戦争の他に懸念される問題があった。オーストリア・ハンガリー領時代の一九一一年に持ちあがったダム建設の問題だ。実現すれば、クロンとレジアの村は水に沈み、人びとは農地と仕事を失うだろう。では、立ち退きの補償金を撥ねつけてやったらどうだろう? すると、政府から派遣されてきた職員は「強制収用を可能とする法律」があると恐ろしいことを言う。

 戦争が勃発すると、トリーナ夫婦は夫の兵役逃れのために山の奥に隠れて生活し、息子はヒトラーに心酔して、家族の心はばらばらになる。ダム建設はいっとき棚上げされるが、終戦後に本格的に再開。トリーナたちはローマ教皇へ直訴し、近隣の村に支援を呼びかけるが……。

 クロン村の人びとは、ダム建設に反対する気骨と、嫌な現実はなるべく見たくないという日和見的な気持ちの間で揺れる。この心理が現代の私たちにもじつに鋭く刺さってくる。クロン村では、いまも教会の鐘楼だけが人工湖から顔を覗かせているそうだ。

新潮社 週刊新潮
2024年3月14日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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