都会暮らしのベテラン記者が洞察する固定観念抜きの“狩猟”という営み

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アロハで猟師、はじめました

『アロハで猟師、はじめました』

著者
近藤康太郎 [著]
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309028873
発売日
2020/05/23
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

都会暮らしのベテラン記者が洞察する固定観念抜きの“狩猟”という営み

[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)

 狩猟が特別なのは殺生と食をつうじて人間の生の根源に触れることができるからである。狩猟者は獲物の世界に入りこまないと獲物をとることができない。文明世界から軸足を移し、すぐそこにあったのに今まで気づかなかった別の位相に潜りこまなければ存在さえできない。そのインパクトは途轍もなく大きい。

 その狩猟の話だ。著者は大手紙の編集委員も務める記者で、育ちも勤務地もずっと都会暮らしだった。まずは鴨撃ちからはじまるが、狩りの師匠がつぶやく、生と死の本質をえぐりだす一言をブラックユーモアと感じるほど、それは初心な場所からの旅立ちだった。それだけに自然のなかに分け入ってゆく驚きと興奮がひしひしと伝わってくるのだ。

 登山家や冒険家とは異なる視点で語られる心の揺れは独特で、俺は知っている、という固定観念に縛られていないぶん、新鮮だ。手練れの記者だけに分析も鋭く、暴力や生き方だけでなく話は社会体制への熟考にまでつながる。

 田舎では狩猟で得た肉を贈与し、見返りを受けることで生活できるが、著者はそこに資本主義をのりこえる可能性を見る。どこででも同じ価値で使える貨幣は世界や関係を均質にしてしまうが、贈り物はその相手にしか通用しない価値があり、相手との関係性のなかで生きることにつながる。その時々でしか通用しないからこそ、際限のない欲望から逃れる契機となる、というのである。

 こうして狩猟をつうじて著者の前には次々と新しい世界が開示されていくが、じつはこの新しい発見にいたる一連の歩みそのものが狩猟行為の本質的表現なのでは、と私には思えた。長崎と大分の田舎の一角で営まれた記録と洞察だ。しかし狩りに場所のスケールは関係ない。狩りそのものに深みがあるので、九州の鴨撃ちでも北極での白熊狩り以上の深度を獲得できるのだ。それが伝わる本はなかなかない。

新潮社 週刊新潮
2020年7月23日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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