世界が回復と再生を願う今 読者の背中を押す珠玉の物語

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永遠の仮眠

『永遠の仮眠』

著者
松尾 潔 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103538417
発売日
2021/02/17
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

世界が回復と再生を願う今 読者の背中を押す珠玉の物語

[レビュアー] 岸田雪子(ジャーナリスト・東海大学客員教授)

 眠りから覚めた朝。光を浴びて思う。今、自分はまっさらな赤ん坊に生まれ変われたのではないか。きのうの失敗や後悔の延長ではなく、過去を経たからこそ得られた新しい自分を、今から始められる。そう感じさせる何かが、この物語にはある。

 主人公の音楽プロデューサー・光安悟は、民放テレビ局UBCの連続ドラマ主題歌制作を担当するが、ドラマのプロデューサー・多田羅俊介によってデモの曲に次々とNGを出されてしまう。打ちひしがれながらも、多田羅への怒りを燃料にして創作に熱を込める悟は、2011年3月11日に起きた未曾有の災害をきっかけに、予想もしなかった運命の扉を開けていく。

 実在するスタイリッシュな固有名詞が随所に登場し、リアルとフィクションが混在するこの物語は、私にとっては極上のビターチョコレートの味わいだ。悟が多田羅と対峙し、生々しい侮蔑と呪詛がぶつかる会議室のシーンでは、多田羅の言動がいかにも独善的で傲慢に描かれる。まるで「テレビ局に向けられる、社会からの視線」のリアルをも表しているようで、テレビ人の一人にとっては甘美に苦味を伴う。

 悟が曲作りに執念を燃やす理由は、多田羅への反発だけではない。自らオーディションで発掘したシンガー・櫛田義人との6年前の別離がもたらす、罪悪感と後悔に突き動かされているのだ。ドラマ主題歌で彼を復活させ、成功に導いてやりたい。この「失われた過去を取り戻す作業」こそが、この物語のテーマだ。

 東日本大震災発生の瞬間に向かって時を刻みながら進行するこの小説の出版が、コロナ禍の2021年というのも宿命的だ。災害時、「不要不急な○○は控えよ」という号令下では、エンターテインメントが自粛の対象となることに不自然さを感じる者は少ない。しかし、すべてのエンターテインメントが心を幸福で満たすものである限り、苦しみの只中にある時にこそ、必要不可欠な存在であるはずだ。『音楽を止めちゃいけない』という主人公の言葉は、この時代にこそ届けられるべき、著者自身の深い情熱だろう。

『人の「一生」は「一日」を何回も生きることじゃないか』。シンガー・櫛田の言葉が私は好きだ。世界が苦難を共有し、回復と再生を願う今、人は何度でも生まれ変われるのだと優しくささやき、読者の背中をそっと押してくれるこの物語もまた、著者が世に送り出した珠玉のエンターテインメントなのだ。

新潮社 週刊新潮
2021年5月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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