南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。『龍華記』澤田瞳子 文庫巻末解説

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龍華記

『龍華記』

著者
澤田 瞳子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041116425
発売日
2021/09/18
価格
770円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。『龍華記』澤田瞳子 文庫巻末解説

[レビュアー] 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

■角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■『龍華記』
著者 澤田瞳子

南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。『龍華記』...
南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。『龍華記』…

■『龍華記』澤田瞳子 文庫巻末解説

解説
佐藤 優(作家・元外務省主任分析官)

「平和を造る人々は、幸いである
 その人たちは神の子と呼ばれる。」(「マタイによる福音書」5章9節)
 澤田瞳子氏の小説は、徹底的な史料研究に基づいている。しかし、作品にする際は、実証的研究の成果を全て捨てて、登場人物を自由に動かす。こうして創作のような事実と事実のような創作が織り成す澤田瞳子ワールドが生まれる。
 この小説は平重衡(1157もしくは58~1185年)による南都焼討(1181年)を題材にしている。平氏政権にまつろわない奈良の寺社勢力の討伐を目的とするものだ。特に藤原氏の氏寺であった興福寺は、武装した僧侶を擁する一大抵抗勢力だったので標的にされた。
 火には全てを破壊する悪魔的な力がある。象徴的なのが東大寺大仏殿の焼け跡だ。

〈昨夜、般若坂から駆け戻った道を逆にたどれば、東大寺の長い築地塀は焼け落ち、広い境内が露わになっている。いたるところに瓦礫の山が生じたそのただなかで、大屋根と焼け焦げた柱ばかりが剝き出しになった幅二十九丈の大仏殿は、骨だけを残して喰い尽くされた獣の骸にひどくよく似ていた。
 かつて、訪れる者たちを睥睨していた大仏の尊容はなぜか基壇にはなく、代わって石造りの基壇の下に、巨大な鉛色の塊がわだかまっている。淡い冬陽を映じて鈍い光を四囲にふりまいているそれが、劫火によって煮溶けた毘盧舎那大仏のなれの果てであると、不思議にはっきり分かった。〉(100~101頁)

 末法の世であることが形になって表れたのだ。
 この末法の世において慈悲の心を失わずに必死になって生きて、死んだ人々の姿を澤田氏は見事に描いている。
 この物語の主人公である範長は、興福寺の悪僧(僧兵)で、重衡による南都焼討を許してしまったのは、自らの作戦計画に瑕疵があったからと深く悔いている。範長は、般若坂に京都から高貴な身分の若い女性が訪れ、戦乱による孤児たちを養っていることを知る。この女性は重衡の養女公子だ。許し難き敵の一族であるが、公子のヒューマニズムに感化され、範長も密かに公子を支援するようになる。
 平氏の没落と共に再び奈良は戦乱に巻き込まれる。その過程で公子も死ぬ。勝者となった範長であるが、自分の気持ちを整理することができない。
 範長には、重衡を斬首する役が回ってくる。公子に対する想いから、範長は牢から重衡を逃がそうとする。しかし、重衡は逃亡しようとしない。このときの2人のやりとりが興味深い。

〈「おぬしはわたしの何を知っておる」という低い問いが、板戸の隙間から香の煙のようにくゆり出て来た。
「何を、と仰せられますと」
「この数年、わたしは日夜、怯えと悔いに心さいなまれておった。一門にあっては、南都諸寺に火をかけた慮外者と謗られ、囚れの身となった鎌倉では、いつ首を斬られるやも知れぬ境涯に置かれてな」
「南都の焼き討ちを悔いておられるのですか」
 返答はない。その代わり、「わたしは怖かったのだ」という細い声が、夜の静寂を震わせた。
「北陸道での敗走、都落ち……かつての栄光がおよそ信じられぬ逆境に見舞われる都度、これは己が南都諸寺を焼いた仏罰ではと思われてならなんだ。血縁の中にははっきりそう言葉にする者もおったし、実際、顕罰と信じねば辛くてならぬほど、我が一門の凋落は著しかったからな」〉(284~285頁)

 範長の「南都の焼き討ちを悔いておられるのですか」という問いに対して、重衡は答えなかった。平清盛に命じられて、重衡は南都焼討をしたに過ぎない。清盛の命令は絶対だ。重衡にそれを拒否する選択肢はなかった。それが武士としての宿命であり、職業的良心なのだ。武士としての筋を通すことが命よりも重要だ。だから「悔いている」とは言えないのだ。このときに重衡は、養女のことだけが気にかかると言った。公子は無残な死を遂げたが、彼女が(範長とともに)養った子供たちは生きている。そして、公子の慈愛の心はこの子供たちに継承されている。しかし、範長はこの事実を重衡に伝えることができない。範長も興福寺の僧侶としての立場に縛られているからだ。人間は社会的動物である。社会的動物として人間は群れを作る。誰もが群れの掟に従わなくてはならない。これは、南都焼討から840年経った現下日本の会社や役所においても同じだ。誰もが自分の立場に縛られ、自らの真意を実現することができない。しかし、そのような制約の中でも何かできることがあるはずだ。
 泉木津で斬られた重衡の首が般若寺門前(公子が孤児を保護していた般若坂はこのすぐそばにある)に掲げられた元暦2年6月23日の夕刻、範長は姿を消した。
 その翌年のことだ。興福寺は、仁和寺に属する山田寺を自らの傘下に奪おうとする。興福寺から山田寺を襲撃する部隊には、範長の従弟である信円も加わった。山田寺で信円は範長と遭遇する。範長は信円に山田寺の三尊像を渡すので、撤退せよと提案する。

〈「わたしはな、もはや二度と、人と争おうとは思わぬ。怨みごころは怨みを捨てることによってのみ消ゆる。ましてや憎しみの輪廻に成り代わり、人の祈りを引き受けるべき御像が御寺に移るのであれば、それは賀すべき出来事ではないか」
 その祈りとは、火炎に喘ぎながら亡くなっていった衆生の救済の祈りか、それともようやく来たった平穏の長かれと願う人々の思いか。
 いや、はるか飛鳥の古から、移り行く世を何百年にも亘って眺めてきたこの御像は、世の人々の愛別離苦をも飲み込み、数えきれぬほどの祈りをその身に受け続けてきた。そしてこの先、信円や範長が世を去ってもなお、御像だけは現世に残り、数えきれぬほどの人々と向き合うはずだ。
 世人は常に相争い、定かなるものは世に乏しい。さりながらそんな不定の浮き世にあっても、何かを希う人の祈りだけはいかなる時も変わりはしない。
 ああ、と信円は呻いた。
 範長の出奔の理由が、ようやく分かった。この男は憎しみの代わりに祈りをと願えばこそ、興福寺を後にしたのだ。〉(323~324頁)

 信円は範長の提案を受け入れ、戦闘は回避された。
 公子の慈愛の心が範長を感化した。そして、範長の慈愛の心が信円を感化したのである。憎しみの因果を断ち切るために必要なのは、平和を作り出す信仰で、それは即行動となって表れるのだ。
(2021年8月1日記)

■作品紹介

南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。『龍華記』...
南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。『龍華記』…

龍華記
著者 澤田 瞳子

南都焼討──平家の業火が生む、憎しみと復讐。著者渾身の歴史小説。
高貴な出自ながら、悪僧(僧兵)として南都興福寺に身を置く範長は、都からやってくるという国検非違使別当らに危惧を抱いていた。検非違使を阻止せんと、範長は般若坂に向かうが──。著者渾身の歴史長篇。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000323/

KADOKAWA カドブン
2021年10月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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