『不知火判事の比類なき被告人質問』
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裁判官の質問で情景が一変する! 名手が放つ法廷ミステリの傑作
[レビュアー] 若林踏(書評家)
法廷ミステリと聞くと、おそらく多くの人は検察側と弁護側が対決する物語を思い浮かべるのではないだろうか。ところが矢樹純『不知火判事の比類なき被告人質問』はちょっと違う。この短編集で裁判の鍵を握るのは、裁判官が放つ質問だからだ。
横浜地方裁判所に勤める不知火春希裁判官は、裁判傍聴マニアの間では有名人だった。不知火は被告人質問の際、法曹関係者から「他に類を見ない」と評されるほど思いもよらない問いを投げかけ、誰も予想し得ない真実を導き出すというのだ。
不知火の質問は本格謎解き小説でいうところの、名探偵の一言に等しい。第一章「二人分の殺意」では母子家庭で無職の娘が母親を殺害した事件を審理する裁判が描かれる。娘はすでに犯行を自供しているためスムーズに結審するかと思われた。しかし不知火が被告人に対して行った最後の質問で、それまで見えていた事件の光景が一変する。こうした構図の反転が、この連作短編集の特徴だ。本書は刑事事件のルポルタージュを担当するフリーライターの湯川和花が、不知火が担当する裁判の模様を傍聴するという形式で書かれている。検察官や弁護人、そして事件を傍聴する人々といった様々な人間の思惑が湯川の視点で描かれるからこそ、不知火の質問がもたらす衝撃が効果的に伝わるのだ。
矢樹純は短編ミステリの名手で、短い紙数の中に幾重ものどんでん返しを仕込んで読者を翻弄するのが得意技だ。本書に収められた各編でも、法廷という閉じられた空間において、目の前の事実が目まぐるしく変化する展開が待ち受けているのだ。
加えて本作では、それまでの矢樹作品では比較的控えめだった本格謎解きミステリの要素がふんだんに盛り込まれている。特に第四章「沈黙と欺瞞」では途中から意外な謎が浮かび上がり驚かされる。著者の謎解き作家としての手腕も垣間見える連作短編集だ。