『アマルティア・セン回顧録 上』
- 著者
- アマルティア・セン [著]/東郷 えりか [訳]
- 出版社
- 勁草書房
- ジャンル
- 社会科学/経済・財政・統計
- ISBN
- 9784326550890
- 発売日
- 2022/12/27
- 価格
- 2,970円(税込)
書籍情報:openBD
『アマルティア・セン回顧録 下』
- 著者
- アマルティア・セン [著]/東郷 えりか [訳]
- 出版社
- 勁草書房
- ジャンル
- 社会科学/経済・財政・統計
- ISBN
- 9784326550906
- 発売日
- 2022/12/27
- 価格
- 2,970円(税込)
書籍情報:openBD
アイデンティティの複数性こそ世界を寛容にする
[レビュアー] 田中秀臣(上武大学教授)
1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、経済学だけでなく社会思想にも大きな影響を与え続けている。特にセンが重視する「豊かな生(ウェルビーイング)」とは何か? という問いかけは、しばしば功利的な打算に走りやすい人間の暮らし方を見直すきっかけを与えてくれる。本書はセンが若くして経済学者の地位を築くまでの前半生を語ったものだ。20世紀後半の現代史の側面もあり刺激的だ。
原題は、『世界の中の家』と直訳できる。センはインド(当時)の都市ダッカで生まれた。だが、その故郷の「家」だけを指す言葉ではない。センは、個々の人間の様々な属性(人種、民族、宗教、ジェンダー、政治的党派など)に注目する。われわれはつい人間を単一の属性(アイデンティティ)に結び付けて考えがちだ。センが幼少時代に目撃したムスリムとヒンドゥー教徒の対立、宗主国イギリスと植民地インドとの関係は、敵と味方に社会を分断し、個々人の生き方を困難なものにしてしまう。だが、われわれの人生は、複数の「家」=アイデンティティをもつことを拒否しない、というのがセンの立場だ。例えば、愛国者であることとグローバリストであることは相互排他的ではない。無宗教な人間でも、信仰心を深く理解することはできるだろう。アイデンティティの複数性こそ世界を寛容にする。
センはイギリスのケンブリッジ大学で、経済学者としての修業を積む。異端派であるスラッファやドッブからの影響は興味深い。また社会の変革は人間の自由を拡張することにある、というマルクスの思想を重視している。幼少期に経験した200万から300万人が死亡したベンガル大飢饉は、食糧があっても高くて購入できない経済的な不自由や、飢饉の実態を世間から隠した報道の不自由によって被害が拡大した。「豊かな生」には自由こそが不可欠だと、センの半生そのものが伝えている。