AV業界で化粧師として働く女性を主人公に…胸が苦しくなるような愛しさが込み上げてくる芥川賞候補作

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グレイスレス

『グレイスレス』

著者
鈴木 涼美 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163916545
発売日
2023/01/14
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ある愛の寓話

『ある愛の寓話』

著者
村山 由佳 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163916439
発売日
2023/01/10
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 恋愛・青春]『グレイスレス』鈴木涼美/『ある愛の寓話』村山由佳

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員。本屋大賞実行委員)

 都心から離れた場所にある山沿いの静かな洋館と、体液に塗れた顔の女たちがいるポルノ撮影の現場。鈴木涼美『グレイスレス』(文藝春秋)は、対極にあるような二つの場所が硬質な文体で描かれる小説だ。

 主人公が住む家は、大叔母が有名建築家に依頼して建てたものだ。翻訳家の母が父と離婚する際に譲り受けたのだが、高校を卒業した頃に英国に移住してしまったため、祖母と二人で暮らしている。知人に誘われて同行したポルノの撮影現場で、女たちの顔を「より美しく整えて、より愚かに壊してみたいという執着」を覚えて化粧師の仕事を始め大学は中退した。母も祖母も規範にとらわれない自由さを持ち、自分の感性や経験に重きをおいて生きる意志の強い女性だ。視野を広げることや、人生を楽しむことを勧めてはくるが、主人公の生き方や仕事を否定することはしない。

 穏やかな時間が流れる自宅と違い、働く現場では起こる事も交わされる会話も過酷で猥雑だ。その中で主人公は、女優たちを気遣いながら性欲処理に適した顔を作り、汚された顔を丁寧に拭き、化粧を直していく。仕事ぶりは真摯そのものであるが、女たちの顔がどう変わっていくかを見届けたいという欲望に突き動かされてこの場所にいることに、罪悪感を持っている。なぜこの仕事をしているのかと、女優たちに問いかけることはしない。だが自分自身には、なぜ続けているのか、なぜ化粧を施される側にならないのかを問い続ける。

 著者は、二つの異なる場所を、同じ距離感で丹念に観察するように描写していく。家の洗面台に貼られたタイルの色と、女優たちの顔を彩る化粧品の色。撮影現場にある鏡に射すカーテン越しの光と、家の雨戸を開けた時に窓から滲み出る光。愛する人の死を経験した祖母の語る言葉と、ポルノの仕事を長く続けてきた女優の言葉。違う環境にあるものなのに、次第に印象が重なってきて、胸が苦しくなるような愛しさがこみあげてくる。どうしてこんな気持ちになるのだろう。どのような場所にいても、性と生の痛みから逃れることはできないと、感じたことがあるからなのかもしれない。

 村山由佳『ある愛の寓話』(文藝春秋)は、愛をテーマにした短編集だ。子どもの頃から一緒にいるぬいぐるみ、複雑な事情から関わることになった動物、遠い島で作られた籠、夢の中でしか会えない人……。対象となるのは、生身の人間以外のものである。恋人よりも配偶者よりも運命的な何かに出会った主人公たちの切実な思いを、聞かせてもらっているような気持ちで読んだ。魂を分かち合うのは人間同士でなければいけないと、誰が決めたのだろう。

 恋愛小説の名手は、相手が人でなくてもため息が出るような官能を物語に漂わせる。同時に、思い続けることの崇高さを見せてもくれる。見事としか言いようがない。

新潮社 小説新潮
2023年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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