平穏で長閑な文芸誌ではもはや事件は起こらない

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中野正彦の昭和九十二年

『中野正彦の昭和九十二年』

著者
樋口毅宏 [著]
出版社
イースト・プレス
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784781621487
発売日
2022/12/19
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

平穏で長閑な文芸誌ではもはや事件は起こらない

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)

 この欄を書き始めるときは毎度、時評らしく文芸状況について前置きをしなければとの義務感に囚われるのだが、大抵ネタがない。

 文芸誌ではもはや事件は起こらない。批判や論争など文学的に意味のある事件さえ淘汰されて久しい。

 事件の現場はSNSなど外部に移った。そして、外部で生じた事件が文芸誌に回収されることもない。事件性が強いものほど黙殺される。結果、文芸誌という空間には、外界と隔絶した、平穏で長閑な光景が広がるばかりとなる。

 先月取り上げた樋口毅宏『中野正彦の昭和九十二年』事件を『新潮』が扱ったのは、それだけに激レアといっていい例だったが(「意想外」と書いたのはそのためだ)、これはひとえに、エンタメの作家である樋口が純文学業界にとって部外者であり、業界外の事件と認識されたゆえのことだろう。実際、同じ「大衆的検閲」(桐野夏生)事件として並べた笙野頼子パージ事件について文芸誌には一言たりとも言及が出ていない。痕跡が作家ごと消えた状況であり、恐怖を覚えるより徹底ぶりに感心する。

『中野正彦』事件に関してはその後、文芸評論家絓秀実による論考「リスクと「不気味なもの」――樋口毅宏著『中野正彦の昭和九十二年』(イースト・プレス)の発売中止問題に触れて」が、文芸批評と文学研究の同人誌『文学+』WEB版に掲載された。

「かつて筒井康隆「無人警察」をめぐる「言葉狩り」論争(1993年)などで論陣を張った絓がこの事件に何を考えるのか気にな」り、同誌を運営する中沢忠之が依頼したものだと、中沢の連載「文芸批評時評」で述べられている。『新潮』で同事件を論じた石戸諭が、文芸評論家ではなくジャーナリストであったことと考え合わせたい。

 中沢は「大衆的検閲」に抵抗するために、「出版社―図書館―書店」のコラボを前提とする公共空間とは「別の言論の場所を模索する」ことを提案する。『文学+』はたしかに『文學界』新人小説月評を「干された」荒木優太に文芸時評を連載させるなどオルタナティブな文芸メディアの存在感を獲得しつつある。

新潮社 週刊新潮
2023年3月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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