「定年後の喪失感は相当なもの。だからこそ希望を見つけられるお話を書きたかった」60歳の女性を描いた還暦小説にこめた思い

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華ざかりの三重奏

『華ざかりの三重奏』

著者
坂井 希久子 [著]
出版社
双葉社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784575246216
発売日
2023/04/19
価格
1,815円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

60歳を過ぎれば友人たちと再び笑い合える。定年退職、死別孤独、二世帯住まい…。先の心配尽きぬとも今を楽しみ尽くす令和の還暦小説 『華ざかりの三重奏』坂井希久子インタビュー

「居酒屋ぜんや」「江戸彩り見立て帖」シリーズなど、人情味あふれる時代小説の名手・坂井希久子氏は、『妻の終活』『セクシャル・ルールズ』など現代人が直面する苦悩と希望を紡ぐ現代小説も見逃せない。新作『華ざかりの三重奏(テルツエツト)』は、令和時代を生きる60歳の女性をテーマに描いた還暦小説だ。定年退職を迎えた独身の可南子、育児と介護に明け暮れた専業主婦の芳美、夫と死別して息子家族と同居中の香織、熟年離婚の危機が迫る桜井など、様々な60歳がこれからの生き方を模索する。お金、健康、孤独など先の心配が尽きぬ中でも、今この瞬間を生きる希望の詰まった本作を描いた坂井氏に、作品にこめた思いをうかがった。

撮影=大泉美佳

 ***

■定年後の喪失感は相当なもの。だからこそ希望を見つけられるお話を書きたかった

──『華ざかりの三重奏』は、60歳を迎えた3人の女性の人生が交差する還暦小説。「私って、いくつまで生きるんだろう」という台詞が作中でも出てきますが、坂井さんはどのような思いで「60歳」という年齢の人々を本作で描かれましたか?


坂井希久子氏

坂井希久子(以下=坂井):本作を執筆したそもそものきっかけは、担当編集者と次回作の相談をしていたときに、「同窓会もの」と「定年を間近に控えた女性の不安」というキーワードが出てきたんですね。じゃあその2つをくっつけてしまおうということで。しかもちょうど男女雇用機会均等法が施行されたばかりのころに社会に出た女性たちが、定年を迎えるころじゃありませんか。だったらなおさら、小説の題材になりそうだなと思いました。当時は育休制度もありませんから、子供を諦めて仕事一筋に生きてきた方もいるでしょう。そういう女性にとって定年後の喪失感は、相当なものではないかと。だからこそなにか、希望を見つけられるお話を書きたいと思いました。実は私も、自分がいくつまで生きるのか分からないのが不安ですので。

──主人公の可南子はキャリアウーマンで、同僚の女性が結婚や出産を機に退職していく中、独身で定年まで働き続けますが、60歳を間近にして「これから一人でどう生きたらいいのか?」と焦りだします。仕事に注力してきた人ほど定年後に居場所がないと感じる「仕事ロス」に陥ってしまうことがありそうですが、定年というライフステージの大きな変化をどのように受けとめていったらいいのでしょうか。

坂井:先程の質問の答えとちょっと被ってしまいそうですが。定年を迎えるといってもその後は雇用延長や、再雇用、再就職など、選択肢は様々だと思います。今の60代はとても若々しいし能力もありますから、現役時代とは比べ物にならないくらいのお給料で働かされるのは不満かもしれません。実際に経済的にも辛いでしょう。そのあたりもう少し改善されないものかとは思いますが、責任のある立場から離れて少しずつ人生を軟着陸させてゆく期間を持てるのは、いいことかもしれません。その間に、職場以外の人の繋がりを作っておくといいのではないでしょうか。仕事は決して、人生のすべてではないのですから。その点、趣味や推し活のために仕事をしているという方は頼もしいですね。

──可南子に「一緒に暮らさない?」と誘った芳美は、専業主婦で子育てと介護に奔走し、今では家族の旅立った家で一人暮らしをしています。中学時代に友人だった可南子と芳美はそれぞれ違う人生を歩み一時期距離ができますが、60歳で再び出会い「いい年して馬鹿みたい」「違うわよ。やっと馬鹿ができる歳になったのよ、私たち」と笑い合う場面にとても希望を感じました。

坂井:女性は特にライフステージの選択肢が男性よりも多いので、友人関係がそれに左右されてしまいます。子供のいる専業主婦と会社勤めの未婚の女性では自由になる時間が違いますから、ついライフステージの似ている人とつき合いがちになってしまうし、話も合わない。実際に私(既婚、子供なし)もつき合いの古い友人からママ友に関する相談をされ、アドバイスをしたら、「でもね、子供がいると違うのよ」と謎のマウントを取られたことがあります。それ以来、彼女の子育てが落ち着くまでは2人きりで会うのは控えようと決めました。

 だけど仕事をリタイアした可南子と、主婦業を終えた芳美ならば、また「生の」自分たちとしてつき合えるのではないか。ママ友についての愚痴につき合わされることも、仕事の悩みを一方的に語られることもなく、今、目の前にあることで笑い合える。純粋に好きなものについて語り合える。前述の友人ともそうなれたらいいなという、私の願望も入っていますね(笑)。

──60歳になっても、可南子は母親から「子供も孫もいないんじゃ、将来みじめなことになるんだから!」と言われ、いまだ結婚を勧められることにうんざりしています。芳美は遠方住まいの子供とぎくしゃくした思いをかかえていたり、逆に息子家族と密な空間で同居して息苦しさを感じる60歳・香織が登場したり。それぞれの60歳の視点から見た親子関係を描いてみていかがでしたか。

坂井:この3人の場合は親子関係がぎくしゃくしていると言っても、べつに破綻しているわけではない。ただ価値観が合わなかったり、自由がほしかったり、遠慮があったりで、一緒にいると息苦しくなってしまう。親子といっても人と人。合わないものは合わないですよね。関係を良好に保つために必要な距離は、相手によって変わります。親子といえどお互いに自立が適ううちは、その距離を保っていればいいのではないでしょうか。

■人生この先になにがあるか分からない。不安はあるけれど割り切って今を楽しむ

──近所の中学生の少年との交流をきっかけに、可南子は60歳にして初めて「恋愛」というものの取り扱い方について真剣に考えます。恋愛はしたことがないけれど、少女漫画を誰よりも熟読してきた芳美が語る「魂の結びつき説」は圧巻で、何かを好きになることの豊かさとそれによる救いが、ラストシーンにかけて生き生きと描かれているように感じました。坂井さんご自身も、少女漫画をたくさん読まれてきたのでしょうか?

坂井:子供のころから少女漫画にかぎらず、少年漫画もたくさん読んできました。どちらも人との絆を大切に描いているとは思いますが、少女漫画のほうには肉体や精神すらも超えた結びつきを感じます。まさに魂で結ばれているような、宿命的ななにか。そういったところに、心惹かれるのではないかなと思いました。本当は作中にもっとたくさん少女漫画のタイトルを出したかったし、なんなら少女漫画史について語りたいくらいでしたが、そうなると可南子たちの物語が破綻するので我慢しました。

──可南子の中学の同級生で、かつてはクラスの人気者だった桜井という男は、大人になっても学生時代のノリが抜けず、若者にマウントをとるいわゆる「老害」と言われしまうような所作が出てきます。桜井の姿を見て反面教師とする可南子ですが、加齢による時代感覚の「ズレ」は誰しも、どうしても出てしまうように思います。そんななかで、どのようなことに気を付けていったら良いでしょうか。

坂井:これは私にとっても課題ですね。45歳にして、そろそろ若者とのつき合い方が分からなくなってきました。十代のころ大人から「今って学校でなに流行ってるの?」と聞かれ、「そんなものは人によって違うし答えようがないな。つまらない質問だな」と思っていたのですが、自分がまったく同じ質問を十代にしてしまったときには、なんだか絶望しました。

 そうやって人は、時代からどんどんズレていくのでしょうね。むしろズレるのが当たり前。そのことに、まずは自覚的になることだと思います。昨今は時代の移ろいが加速していますから、ぼやぼやしていられませんね。

 ところで先日、回転寿司屋で隣に座ったお爺さんがタッチパネルの操作に困っていたので、お手伝いしました。近ごろは、QRコード注文のお店も増えてきています。あのお爺さん、さすがにQRコードは扱えないんだろうな。自分が老人になったとき、どれだけ社会が進んでいるのかと思うと、ついていけているかどうか不安です。

──作中で可南子は、「あと三十年、四十年。余生と呼ぶには、あまりに長い」「孤独に死ぬのは、もちろん怖い」など、60歳から先の人生の長さと、孤独に怯え、芳美との同居を始めます。2人は共通の趣味である少女漫画を堪能しながら、同居の心地好い距離を模索する日々を送りますが、60歳からの生活を楽しむコツなどはあるのでしょうか。

坂井:実は私も20代のころから人生の長さに怯えてきました。今の平均寿命ですら長いのに、人生百年時代なんていう標語まで語られるようになって、もう勘弁してくれという気持ちです。そりゃあ百歳まで矍鑠(かくしゃく)として自分の面倒を自分で見られるならいいですが、たぶん無理だと思うので。74歳のうちの父も、先日脳出血で倒れて左半身不随になりましたからね。人生なにがあるか分かりゃしません。

 でもそんな先のことを、あんまり不安がってもしょうがない。そう割り切って、今を楽しむしかないのかな。私はまだ45歳なので、60歳からの生活を楽しむコツなんて正直なところ分かりませんね。

──最後に、これから読む読者さんへ、読みどころや楽しんで頂きたいところなどを教えてください。

坂井:人生百年時代と言われても明るい展望はなく、漠然とした不安に襲われてしまいますが、そういったものはいったん置いて、ひたすら楽しいお話を書きたいと思って書きました。60歳の主人公たちも、もちろんこれが人生のゴールではありません。これからたくさんのトラブルや、老いや別離を経験するのでしょう。でも今このときの輝きを、60歳ならではの結びつきを、楽しんで読んでいただければと思います。どうぞよろしく!

──ありがとうございました。

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坂井希久子(さかい・きくこ)プロフィール
1977年、和歌山県生まれ。2008年「虫のいどころ」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。17年『ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや』で高田郁賞、歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞。主な著書に「居酒屋ぜんや」シリーズ、『若旦那のひざまくら』『妻の終活』『たそがれ大食堂』『市松師匠幕末ろまん 黒髪』『セクシャル・ルールズ』などがある。

COLORFUL
2023年5月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

双葉社

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