「物語を通して芝居を観せられている」落語家・柳亭小痴楽が夢中になった新感覚の時代小説の読みどころ

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戯場國の怪人

『戯場國の怪人』

著者
乾 緑郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103361930
発売日
2023/07/20
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

恐ろしいリアリズムを内包した新感覚の時代小説

[レビュアー] 柳亭小痴楽(落語家)


柳亭小痴楽氏(写真:橘蓮二)

『忍び外伝』や『完全なる首長竜の日』の作者・乾緑郎による時代小説『戯場國の怪人』が刊行された。

 名作「オペラ座の怪人」をモチーフに、芝居小屋の世界で繰り広げられる悲劇を描いた本作について、読みどころを綴った落語家の柳亭小痴楽さんの書評を紹介する。

柳亭小痴楽・評「恐ろしいリアリズムを内包した新感覚の時代小説」

 私が時代小説を好きになったのは今から10年ほど前。その前は小説は好きで読んでいたが時代物、歴史物には手を伸ばしてこなかった。というのも私は留年を経ての高校中退、碌に授業も受けず勉強とは無縁で、歴史というものに興味を持てず徳川家康・織田信長・坂本龍馬、誰が先輩かも分からない程の知識しかなかった。初めは落語家という職業柄、言葉の勉強のために読み始めたのだが、そこからは昔の日本の感覚、先人の偉業などに興奮し、今ではどっぷり時代小説にハマっている。

 歴史上の人物の伝記、今では失われた時代背景を描写した物語、いろんな楽しみ方ができる時代小説というジャンル。その中で、今作のような実在した人物を使い、昔の逸話や伝説などを織り交ぜながら作っていく物語というのも、また一つこのジャンルの楽しみを増幅させてくれる。

『戯場國の怪人』はフランスの「オペラ座の怪人」という名作をオマージュし、舞台を日本に、オペラを歌舞伎に置き換え、日本に語り継がれている伝記や逸話と照らし合わせて物語が進められていく。時は宝暦十三年(1763)、市村座大看板、名女形・瀬川菊之丞が仲間と舟遊びに興じているところから始まる。冒頭の大川の静かな流れを感じられるワンシーンから、こちらもまた舟に揺られるように物語の中へス~ッと入っていける感覚が心地良い。そして一転、菊之丞が姉のように慕っている八重桐という女形が謎の死を遂げ、戯場國の悲劇が幕を開ける。

 江戸時代に破礼講釈や狂講などと言われ大いに人気を博したとされる実在した講釈師・深井志道軒とその娘・お廉、そしてこちらも戯作者であり武家浪人である実在の人物・平賀源内。この三人が八重桐の死の真相を解明しようと菊之丞を訪ねていくと、菊之丞の口から実しやかな御伽噺のような話を聞かされ、髪結いの仙吉からは市村座の東上桟敷の五番目で不可解なことが起こっているという話を聞く。時を同じくして広島藩士の稲生武太夫という、「稲生物怪録」などで有名な人物が東上桟敷五番で怪異に見舞われる。この五人を中心に瀬川菊之丞のある事実を暴いたが、そこから一人また一人と行方知れずとなる。

 時は遡ること約九百年前。隠岐、島後島に島流しにあっていた小野篁は図らずも島で怪魚を食わされ長寿を得た。そして共に怪魚を食べた男との因縁。篁は妹・白鷺との恋、男は島の娘との愛、そして大奥御年寄の江島の密情が掛け合わさり、廃座となったはずの山村座の舞台で様々な時代の物語が繰り広げられていく。人としての業、役者としての業が時に自身を忘れて役に嵌まり込み、物語へ染まっていく。

 随所に描かれる怪異、物怪との戦いのシーンは見事に迫力があり、読み物ではなく漫画を見ているような鮮明さがあって楽しかった。山村座で繰り広げられる、シーンが次々と変わる芝居と現実の様変わり。登場人物たちが感じた、何が役で何が自分自身なのかが分からなくなるような感覚を、作品を読んでいるこちらまでが覚えた。まるで私たちも“読み手”という役を戯場國で与えられているかのようだ。「お芝居は似たような筋書きや境遇の持ち主を絡めて新しい話を作り上げるのが常套手段」とあったが、まさにこの『戯場國の怪人』がそうだった。山村座での芝居も途中で台本の書き手が変わり舞台を仕上げていくのだが、本作もまた読んでいるうちに物語が足されていくような思いがした。

 役者さんは役に入っても決して己を見失ってはいけないと菊之丞も語っていたが、我々落語家も同じで、落語は一人で何役も演じる一人芝居。一役だけに入り込まずに、常に俯瞰して自分の高座を観るようにしている。舞台人としての観られる意識や欲というものに菊之丞を通して共感したと同時に、その業の深さに恐ろしいリアリズムもある。物語を通して芝居を観せられているようにも感じられたし、お芝居の世界観に入り込む楽しさも味わえた。

 そしてそれぞれの人物像も面白く、下品でちょっと胡散臭さがある志道軒と、はねっかえりだが愛らしいお廉の掛け合い。内にある強かさが小狡い源内と生真面目な武太夫とのやりとりなど、クスッと笑わせてくれる息継ぎ場のような優しさが繋ぎ目として随所にちりばめられていて、その緩急が心地よかった。

 歴史・ミステリー・ファンタジー、様々なジャンルが綺麗に混ぜ合わされた素晴らしいエンターテインメント作品で、私にとって新感覚の時代小説だった。

 荒唐無稽で摩訶不思議な怪奇、様々な愛の形、人の持つ業、それらをテンポとお芝居で楽しませる。思春期の若い人たちにも手にとって楽しんでもらいたい時代小説である。

新潮社 波
2023年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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