『家で死ぬということ ひとり暮らしの親を看取るまで』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『家で死ぬということ ひとり暮らしの親を看取るまで』石川結貴著
[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)
介護3年 厳しさ淡々と
―「ピンピンころり」と言う人ほど、「ころり」の方を考えない。「家で死ぬ」と言うひとは、死に至るまでの苦しみを具体的に想像しているか――。3年間の遠距離介護の末、ひとり暮らしの父親を看取(みと)った娘からの問いかけである。
父の体調が崩れ、初めて付き添った地方の町での診察。いきなり突きつけられたのは人工透析の導入だ。慢性の内臓疾患は進行に気づきにくい。戸惑う父と娘に医師は「やりたくないなら、来なくていい」と突き放す。詳しい説明はなかった。「標準治療=透析」を拒否する患者は予後も悪く、金にもならない。やっかい払いだ。骨折して歩けぬ父に紹介状だけ持たせ、あとは知らぬ存ぜぬを通そうとする医師もいた。父は家で死ぬと言い張る。在宅での看取り体制のある医療機関は国内で約5%。介護保険を申請すれば、88歳・末期腎不全に「心身ともに自立」の判定。あれもこれも想定外。介護については相応の知識があり、父を支えられると思っていた著者を次々と厳しい現実が襲う。
オギャアと生まれたとき、人は何ひとつ自分で出来ない。同じように人は無力になり死んでいく。下の世話をする娘に父が漏らす。「こんなことになるなら、明日にでも死ねたら」。親が日々、弱っていく姿を見るのはつらいが、親の姿は明日の自分だ。刻一刻と死が迫るなか、父は危なっかしい足取りで畑に通い続ける。その秘められた理由に、家族を看取るということは、相手の人生を丸ごと引き受けることなのだと深く頷(うなず)く。きれいごと抜きの臨終、そして葬儀をめぐる世知辛い事情。家で死にたい、家で看取りたいと願うすべての人に読んでほしい。
脚色のない最低限の言葉で冷静に淡々と、しかも要点を外さない。情報に過不足なく、感情は控えめ。それでいて溢(あふ)れるような思いがしかと伝わってくる。書き手である娘が取材力と表現力を総動員した、この上ない追悼のかたちと思う。(文芸春秋、1760円)