「この小説が愛おしいのは、作りもんじゃないということ」町田康が語る『無敵の犬の夜』の魅力 文藝賞受賞記念対談

対談・鼎談

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無敵の犬の夜

『無敵の犬の夜』

著者
小泉 綾子 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309031590
発売日
2023/11/22
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

第60回文藝賞受賞記念対談 町田康×小泉綾子「無鉄砲さこそが愛おしい」

第60回文藝賞受賞作は小泉綾子さんの『無敵の犬の夜』。北九州の片田舎で暮らす中学生男子、界は「バリイケとる」男・橘に心酔。ある日、東京のラッパーとトラブルを起こしたという橘のために、ひとり東京へカチコミに向かうことを決意するが――。

「この先俺は、きっと何もなれんと思う。夢の見方を知らんけん」

選考委員(角田光代さん・島本理生さん・穂村弘さん・町田康さん)にも満場一致で推され受賞となった、令和に爆誕した「鉄砲玉文学」。小泉さんも敬愛する選考委員のひとりである町田さんとの初対談を特別掲載。

* * *


町田康、小泉綾子

田舎/東京

町田 「無敵の犬の夜」、すごくおもしろく読みました。界(かい)という少年のピュアな心がぐっときました。純一(じゅんいつ)、というような。作者としてはそんなことは意識してないと思うんだけど、読んでいて大江健三郎さんの『遅れてきた青年』を思い出しました。『遅れてきた青年』は、戦争が終わって、それまで教えられてきた価値観が変わる。暴力的で生徒をぼこぼこに殴ってきた教師が急におとなしくなったり、朝鮮人集落の友達と喧嘩して心理的な齟齬ができたり、決定的に違う世界を少年が孤独に見ている。

小泉 価値観が百八十度変わる体験が私にもありました。もともと私は東京に住んでいて、学校でも家庭でもみんな未来のある子どもとして大切に大切に育てられていたんですけど、十四歳のときに家庭の事情で九州の田舎に引っ越して、そこの公立中学校に転校したら、教師から殴られる、机を投げられる、「東京の言葉をしゃべるな。九州の言葉をしゃべれ」と脅されたりして。それがショックだったんです。それから周りを見る目がちょっと大人になってきて、大人でも間違っていることがあるんだと感じました。そういう意味では『遅れてきた青年』に近いものがあるかなと思います。

町田 「無敵の犬の夜」のおもしろさの一つは、田舎と東京が出てきますけど、まず田舎の感じがものすごく伝わってくる。それを誰の視点で書くかというと、東京から田舎に行ってエイリアンとしてぼこぼこにやられてるやつの気持ちで書いたほうが書きやすいじゃないですか。それは小泉さんが体験したことなので気持ちが一番わかりますよね。でもこの小説は、ずっと田舎に住んでいる界の気持ちで、しかも界をエイリアンの一人として描いています。だからちゃんと小説になってるなと思ったんです。

小泉 私は九州に引っ越して、もう東京に帰れないと真剣に思い込んでいました。成人しても九州から出られない、私は一生ここで生きていくしかないと諦めちゃって。そしたら田舎のみんなのことがすごい気になって、地元の仲間に入りたいという気持ちがすごい高まって、ヤンキーの家に行ってみたりとかトライして。

町田 溶け込もうとしたんですね。

小泉 みんな、作文は標準の日本語なのに、口にするとものすごい方言で、二カ国語を使ってる!と思ったんですよ。そういうことにすごく興味があって、友達にいろいろ聞いたり、方言の練習をしたり。

町田 そうするとみんなは受け入れてくれる?

小泉 はい。むしろ「東京の子」というフィーバーが起きて。私からするとみんなのほうが興味深くて、どうしてそういう選択肢を選ぶんだろうとか、どうしてそこまで危ないことを平気でするんだろうとか思っていました。

町田 危ないことというのは?

小泉 当時流行っていたテレクラとか、暴走族になって夜中に暴走したりとか、制服を改造したり、妊娠しちゃう子がいたり、運動神経がよくて期待されてたのに、煙草やシンナーを吸って走れなくなっちゃったり。なんで簡単にそっちに転がるんだろうと。

町田 東京で小泉さんが見ていた世界は、生きていくということに一定程度の計画性みたいなものがあったということなんですかね。その感覚の違いはなにかわかりましたか?

小泉 私の場合、東京にいたときは「親に訊いてから」というのが強くて、何でも親に訊いて許可をもらってやっていました。でも、田舎の子は自分で決める。ある意味で大人で、エネルギーもあったし、自分で決めるということを怖がらないところがかっこよかったです。

町田 この小説に出てくる人物はみんな魅力的なんですけど、小泉さんが出会った人たちの複合体みたいなところがありますか?

小泉 はい。こういう子いたなぁ、という感じで書いています。

町田 田舎だけじゃなくて、東京もきっちり書けていますね。田舎と東京を対立的に描くんじゃなくて、おたがいを照らし合うことによって距離や姿が浮かび上がってくる形になっている。立体的です。どっちもどっぷり浸かるわけじゃなくて、両方の価値観をクールに描けているところに深みがあって、世界が薄くなっていないと思いました。

小泉 私は夏目漱石の『坊っちゃん』とか『坑夫』が好きで、ただ行って帰ってくる話に惹かれるんです。田舎でちょっと負けて、都会に戻ってくるみたいな話。そういうのを意識したところがあります。

町田 突貫して行って、失って帰ってくる。

小泉 はい。

もう一次元先の負け

町田 界は常に失ってる感じがありますよね。まず手指の欠損があって、人との関係において辱められることで何かを失い、それを自分の破壊的な行動によって回復しようとする。そういう形がこの小説にはあると思うんですけど、どういうところから発想しましたか?

小泉 私は大人になるにつれて何でも失うのが怖くなったんですけど、若いときは割とカジュアルに人を傷つけたり人間関係を壊したりしていた気がします。若いときって失うのが怖くない。その無鉄砲さが私は好きなんです。あと『仁義なき戦い』のような任侠映画がすごい好きで、とにかく一旗揚げてやるみたいな。

町田 鉄砲玉みたいな?

小泉 はい。というのもあって、「無敵の犬の夜」はもともと「鉄の夢」というタイトルでした。『鉄砲玉の美学』という映画がすごく好きで、渡瀬恒彦が主演、頭脳警察が音楽、ATG制作の任侠青春映画ですね。二番手の美学というか、一番かっこよくなくてもやり遂げたい、いろいろ失っても成し遂げたい、地元に錦を飾りたい、誰かのために死ぬ、みたいな。そういう価値観ってたぶん女性にはあまりないから、私はそこに憧れて書いたんだと思います。

町田 じゃあ、田中杏奈という人物は、任侠映画的な構造のなかに出てくるヒロイン的な役割なわけですね?

小泉 はい。やっぱり色気は必要かなと思いました。

町田 田舎やと、男ですごいハンサムで、めちゃくちゃ人気があってファンクラブとかあって、でもそれの使い道がなくて、あるいはそれを使い果たして、普通以下の人になってるみたいなのありますよね。女の人でもいますよね。無意味な美人というか。

小泉 います、います。

町田 界の破滅感はそういうところからきているんですかね。

小泉 ダイレクトにそういうものを書きたいとずっと思っていました。破滅感とか鉄砲玉みたいな主人公をこれからも書き続けたいんですけど、どうしたらいいですかね?

町田 たとえばテロリストでも、作戦を考える指導部と現場に行かされる兵隊とは違いますからね。兵隊の悲しみというのがある。そんなやつはどんな局面にもいて、この小説でいえばジョイフル(ファミリーレストラン)ですよ。ああいうところに溜まっているやつは小説になかなか出てこない。だからいくらでも書けるんじゃないですかね。そのすぐ死にそうな感じは、大江さんの小説だったら『セヴンティーン』とか『政治少年死す』、あんな感じもありますね。

小泉 がんばります。

町田 終盤で、謎のフェミ集団みたいなのが出てきて、界は自分からそこに巻き込まれにいきますね。僕はその自分から巻き込まれにいくところがすごくいいなと思いました。つまり行(ぎょう)というかな。意味のないことをするやつっておるんですよね。知ってるやつで「俺、札幌でホームレスしたことあんねん、だからもう自分は大丈夫」みたいなこと言うてたやつがいましたが、たぶんね、このままやったら俺は終わってしまう、何か自分がしんどいことせなあかん、しんどいことをやったら自分はいけるかもしらん、と思うたんでしょう。傍からから見たら笑えるけど、みんなどっかでそういう個人的な行みたいなことしてるじゃないですか。

小泉 わかります。

町田 界がそうですね。鎌持って東京に行こうとして、鎌なんか持ってたら乗り物乗れんって女に言われて気づいて、むっちゃかっこ悪いやん、このままで終わられへん、じゃあフライパン持っていこか、って俺何やってんの、って。こういうこと言うてる十四、五歳のやつって、ほんま愛おしいです。界が意味なく自分から巻き込まれにいってやばいことになる。そこが僕はすごくいいと思ったんですけど、選考会では、そこから物語が始まるのちゃうか、この先を読みたいという意見もあったんですよ。でも僕はそうは思わなかった。ストーリーはもう必要ない。ただね、最後、崖に転げ落ちて死ぬんか生きるかわからん状態になって「この森を抜ければ、俺は今よりもっと強くなれる」とあるじゃないですか。あと一言あったらいいと思ったんですよね。あと一言、一壁超えたら終われた。もちろん今のままでも終わってますし、あそこまで行けただけでも大したもんやと思うんですけどね。

小泉 最後はすごく悩みました。デヴィッド・リンチの『ワイルド・アット・ハート』みたいに、物語を終わらせるための回収屋みたいな人物が唐突に出てくる話が好きで、そんなふうに書いたつもりでした。それと、負けを認めないために目標のハードルをどんどん下げて、まやかしの勝利を手にしてこれでよしとする、というのが、情けないけどいい終わり方だと思いました。傍からみたら完全に負けかもしれないですけど本人はそうは思っていないという。

町田 負けるんやったら負けるで、もう一次元先の「負け」ということやと思うんですよね。どんどん弱くなっていって、最初の半田みたいな弱いやつがまた出てくるのもいいかもしれない。


小泉綾子

桂枝雀を聴く、文体を聴く

町田 この小説が愛おしいのは、作りもんじゃないというところです。実際の人間の気持ちがある。負けたくない、生き延びたい、でも死にたい、自分は決定的に何かを奪われているという気持ち。あと、生の感覚というんですかね。人間が生きてるときに感じている感覚というのはわりと抽象的に書かれがちですけど、半田という担任教師を殴ったときの界の高揚感。「すかっとした」とか「溜飲が下がった」とか普通は書いちゃうんですよ。でも「くらくらした喜びに吐き気すらしていた」と小泉さんは書く。他にも、女に迫られたときに嫌やなと思いながら、でも女の体を間近に見たときに「田中杏奈のおっぱいの山だけが、この世界に取り残された唯一の天国だった」「こいつのおっぱいを見ながら、堅そうなウエディングケーキに歯を立てて食らいつきたい。なんか今、俺は甘いもんにかぶりついてそん中に埋もれたい」。ここがいい。これが男性の生理に即しているかとかはどうでもよくて、界と田中杏奈はまったく話が噛み合えへんけど、そこで話をしたときにちょっとわかった気がする。そこで回路が通じるというのが僕は嬉しかったですね。そのような感覚の描き方というのは、コツがあるなら教えてほしい。

小泉 私は町田さんの『私の文学史』を熟読していまして、そこにも出てきましたけど、桂枝雀の落語のCDを私は小学校六年間ずっと毎晩聴いていて。

町田 それはすごいな。

小泉 音が飛んでも聴き続けて、わけがわからないくらい聴いて。

町田 だんだん小泉さんに興味湧いてきたわ(笑)。

小泉 (笑)。言葉の音で生々しさがわかることってあるし、文体の緩急で伝わるものがあるんじゃないかというのは日々考えてます。

町田 その音の感覚が言葉の運びに出てますね。枝雀が効いてますよ。小説の練習のために聴いたわけじゃないと思うけど。

小泉 はい。親が「この速度の日本語を聴き取れたら賢くなると思う」と桂枝雀全集を買ってきて、「花筏」とか「代書屋」とか毎晩聴いてました。物語のメリハリが伝わる感じがすごく勉強になりました。町田さんは『私の文学史』で緊張の緩和ということを書かれていたんですけど、文章はそういったリズム感とかが大事ですよね。

町田 そうですね。別にセリフやなくてもね、ナレーションというか叙述のとこでも、言葉の音をきれいに並べるということは、文体を耳で聴くということにかかってきますからね。

小泉 自分の文体に枝雀が影響してるというのは、ちょっと自信をもっていいですかね。

町田 そうですね。親の教育としてはどうかと思いますけど(笑)。

小泉 はい(笑)。

町田 ご両親は落語が好きだったんですか?

小泉 そうでもなかったと思いますが、家庭内のカルチャーは一般的ではなかったです。

町田 古典に関わるご職業?

小泉 父は当時、国会議員の秘書でした。

町田 国会議員というのも芸人みたいなもんやからね。人気商売やから。演説とかせなあかんし。

小泉 昭和の時代にどこかの地方の若手秘書が、背広の裏地に得票数を端数まできっちり刺繍して、選挙後の挨拶で「皆様のおかげでございます」と言って背広の前をバッと開いてそれを見せると、観衆がワーッと湧いたとか。確かにそういう変わった人もいたと聞きました。

町田 おもろいなあ。

人間をなめてない

小泉 町田さんの『口訳 古事記』を読みました。『古事記』ってオチがないというか、物語の型として成立してない話が多いですよね。

町田 『古事記』は書いてないことがたくさんあるんですよね。たとえば「水戸黄門」やったらめっちゃ悪いやつとめっちゃ良いやつがおって、悪いやつが最後に懲らしめられるのがオチで。オチって、落着、落居、落ち着くということですよね。途中で終わってたら落ち着かない。でも『古事記』はわりとうやむやに終わってる。

小泉 そういった物語の型、日本だったら「起承転結」みたいな型を変えるような、新しい展開方法ってあるんでしょうか?

町田 別に、起承転結というのは便宜上のものというか、そこから発想していかんでもええやろと思いますけどね。いろいろな小説を読んでいくといいと思いますよ。

小泉 いろいろなパターンを知るということですか?

町田 物語は、ストーリーラインやプロットの型よりも、物語のなかで何をやるかのほうが大事だったりします。「無敵の犬の夜」だって一回読んで何がわかるというわけじゃないですよね。あらすじに何かすごいところがあるというわけじゃないけど、なんか読んでまう。落語もそうで、オチまで辿りつかずに途中で寝てまうときもある。じゃあ何を聴いてるのかといったら、その人の声を聴いてる。まず声が大事です。『口訳 古事記』でも、なんとなく人物に喋らせて会話でつないでいくうちに、そりゃそうやなという道が見えてくる。

小泉 『古事記』で、オオクニヌシノミコトが何回も殺されて蘇りますよね。ストーリーとしては崩壊してるというか、物語のルールが適用されてない。でもあれがおもしろいです。

町田 アホですよね、オオクニヌシノミコト。何回殺されてもまた行ってしまう。「無敵の犬の夜」の界もそうですよ。ストーリーを追求してしまうことが物語の弱点だと思うんですよ。表面的なストーリーは、ああそんなもんやと深く考えずに流れだけ追って、ああ終わったなと日常に戻っていく。でも現実世界はそんなふうになってない。実際、何回も殺されにいくやつ、おるやないですか。「金ないからバイトしたいねん」「俺行ってるとこの親方に話したるわ」「うん」「じゃあ明日八時、現場来いや」「わかった、行くわ」、で翌朝来えへん。「なんで来えへんの?」「いや、なんとなく」「金ないんちゃうの」「うん」。こんな話、けっこうあるじゃないですか。

小泉 ありますね。

町田 こういうのってストーリーにならへんでしょう。

小泉 因果応報とかが適用されてない人とかいますよね。何回悪いことしても全然バレない。かといって生活が潤っていくわけでもなく。

町田 なんにもない。俺らが生きてるとこはそういうところです。それをそのまま書いておもろいもんにしようと思ったら難しい。そやけど、何もないところもあってドラマチックなところもあって、バランスとってミックスすると響き合っておもしろくなる。作話術とか作劇術とかは効率的に小説を量産していくんやったら大事かもしれんけど、ほんまにおもろいことを書こうと思ったら意味がない。そんなん自分が書かんでもいくらでもある。大事なのは、全体的な鳴りがどれだけ鳴ってるかということです。……何を偉そうに喋ってんねん、俺は(笑)。すんません。

小泉 いえいえ、ありがとうございます(笑)。人間界で命は一個というルールなのに、オオクニヌシノミコトは命が何個もあるみたいな設定で、そんなのダメじゃないですか。だけどオオクニヌシノミコトが全力な分、笑える。それが『口訳 古事記』は町田さんの文章だからなおさら笑えて、本当に生きてる人を読んでるみたいでした。

町田 「無敵の犬の夜」も特にそうですけど、そこに出てくるやつをなめてないですよね。人間をね。ある程度、人間に対する尊敬とか畏れとか持ってたほうがいいのかもしれない。

小泉 町田さん、どんな人でもリスペクトしていますか?

町田 そんなことない。実生活では小さいことで怒ってます。ただ、書くときはね。

小泉 バカにしたり貶めて書くことはないですか?

町田 書くときはね。

小泉 大切にします、その気持ちを。


町田康

敗北と覚醒

町田 「無敵の犬の夜」は人間がみんな生き生きしています。東京で出てくるやつもおもしろくて、ラッパーの取り巻きのやつらとかリアルです。ああいう知り合いが多いんですか?

小泉 大学時代は九州のクラブやライブによく行っていました。私はレコード屋になろうと思って三年くらいレコード屋で働いたんですけど、二軒目に働いた下北沢のレコード屋でDJをしている人たちとよく話すようになりました。音楽活動の上下関係を職場にも持ち込んだり、「二日酔いなので」とか「自分のイベントがあるので」とかで欠勤したり、理解できない感じが毎日あって楽しかったです。

町田 レコード屋になりたかったんですか?

小泉 最初は映画監督になりたくて、思いきって上京して映画美学校に入学したんです。入りさえすれば監督になれると思っていて、九州を出るときも「私、映画監督になるから!」と言って出てきたんですけど、実際は監督経験がある学生のお手伝いとか、照明とか小道具とかしかやらせてもらえず……。

町田 何年行ったんですか?

小泉 一年です。一年通えば夢が叶うと信じて上京したので、敗北感がすごくて。恥ずかしくて諦めたとも言えずふらふらしているときに、でも音楽も好きだし、東京からいい感じのカルチャーを持ち帰って、田舎でレコード屋を開こうと。

町田 この小説の橘さんじゃないですか。

小泉 でも最初にバイトで入ったのがクラシック専門店で。

町田 何かが間違ってますね。なんでクラシックに行ったんですか?

小泉 いくつか履歴書を送って面接に行ったら、そこの社長が占いに凝ってて、「生年月日を見たところ、私とあなたの相性は百パーセントだからぜひうちに入ってくれ」と熱烈に歓迎してくれて。

町田 そこまで言うてくれるならいいか、と。

小泉 はい。神保町にある老舗で、立派な音響機材とレアなレコードがあって、スタッフはおじいちゃんばっかりだったんですけど、みんな仲が悪くて口をきかない。そこで毎日七時間、爆音でクラシックを聴いてました。そしたらある日突然、「書ける!」と思ったんです。それから御茶ノ水のスターバックスで小説を書き始めました。

町田 なるほど。六年間の枝雀と七時間の爆音が頭のなかで混ざってこの小説がある。音も景色も自分のすべてが入ってる。クラシック専門店のじじいたちのこともどこかで書いてほしいです。次の作品の構想も練れてる感じですか?

小泉 はい。大麻の話を書いています。

町田 間をあけないで書いていったほうがいいと思います、この調子で。

小泉 ありがとうございます。

(2023/9/5)

写真=石渡朋 構成=五所純子 撮影協力=熱海パールスターホテル

河出書房新社 文藝
2023年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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