『無敵の犬の夜』
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夢の見方もわからない無鉄砲な令和の「坊ちゃん」
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
暴走する少年の熱に圧倒される。どこへ向かうのか、何を目指すのか、まったく先が見えないまま、ただただ熱だけが伝わってくる。向こう見ずで無鉄砲な令和の「坊っちゃん」が、憑かれたように走り続ける。
北九州で暮らす中学生の界は、四歳のときのケガで、右手の小指と、薬指の半分を失っている。
界のいる狭い世界で、指の欠損は弱みになる。若い教師は目ざとくそこを突いて、界を故意に傷つけ、界から復讐される。指を見て何を言うかで、界は、相手がどういう人間かを知る。弱みは、彼が世界を見る窓の役割も果たしている。
「バリイケとる」高校生の橘に惹かれ、橘のために一面識もないラッパーを襲撃しに深夜バスで東京に向かったりするのも、おそらく「イケとる」以上に橘が彼の指を見たとき他の人間と違う反応を見せたからで、襲撃相手のラッパーに会ったときも、彼の指への反応を素早く見てとっている。
祖母と妹と三人で暮らし、東京で働く母とは仕送りと電話だけでつながっている。中学を出た後、「鳶か親戚の畑手伝うか」「市内でキャッチ」ぐらいしか思いつかない界には、ファッションか音楽の仕事がしたいという橘や、界のことが好きらしい田中杏奈とは違って、東京へ出たいという気持ちもない。そもそも夢の見方がわからない。
夢も自分の言葉も持たなかった界だが、橘とのやりとりや、杏奈と気持ちがすれ違うなかで、少しずつ、自分について知り、言葉をつかみとっていく。
東京から北九州へ戻る高速バスに乗ったものの、界は途中下車してそのまま行先のわからない旅を続ける。何ひとつ成果を得られなくても、すぐに破局を迎えるとわかっていても、まだまだ傷つき足りないかのように、暴走を止めない。
満場一致による本年度の文藝賞受賞作。