『うるさいこの音の全部』
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芥川賞受賞作家が描く「作家デビュー」 頭の中を人目に晒すということは――
[レビュアー] 乗代雄介(作家)
正社員としてゲームセンターで働く長井朝陽は、いわゆる純文学系の新人賞を受賞し、筆名「早見有日」としてデビューした。周囲から賞賛されるも、前途は多難だ。なぜなら他人の多くは、作品と作者を区別してはくれないから。
彼らは、ミステリー作家は全員人殺しだとまでは思わないが、作品には作者の考えが反映され、その筆力はいつでも発揮されると思っている。確かに、反映も発揮もされるのだ。されるのだけど、ちょっと待ってくださいよ、という出来事が次々と朝陽に襲いかかる。何でも小説のネタにすると決めつけられ、社内報にコラムを書けと言われ、家族や友人との関係も変わってしまう。
表題作では、〈長井朝陽の現実〉と〈早見有日の小説〉が並んで進行する。しかし、その区別をしない他人に不満を抱きながら書いている小説は、主人公の職場がゲームセンターに変更されるなど、徐々に現実との重なりを見せ始める。「早見有日」は、朝陽が育んできた〈書くわたし〉につけた名前といえるが、二つの名の間で彼女は揺れ動く。別の場面で思う「踏み出すべき一歩と留まる方がいい一線の違い」という言葉が、その葛藤を最もよく言い表している。
デビュー前の朝陽はその一歩を、自分の小説の中でだけ踏み出してきたのだろう。現実から着想を得たひどいエピソードも、そこでは自由に書けた。しかし、小説家になるということは、それを人目に晒すということだ。もちろん小説は現実ではないから、創作だと弁明すれば一定の理解を得られる。それでも「あれを書いた」という一歩分の棘が残ったまま、現実は続く。ならいっそ現実の長井朝陽を切り捨てれば楽になるか? その末路は、併録の「明日、ここは静か」で確認してほしい。
色々書いたが、本書を味わうのに御託はいらない。小説家って大変だ、と他人事のように思うだけで、その世界に入り込んだことになるからだ。