ベートーヴェンの側近で「音楽史上最悪のペテン師」と呼ばれた男…“捏造”の動機を探る

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音楽もまた人間臭い芸術だった ベートーヴェン、シューマンのエピソード満載の文庫たち

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 ベートーヴェンの音楽が一年で一番身近になる季節が間もなくやってくる。かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』は、彼の晩年の側近、アントン・フェリックス・シンドラーに光を当てた歴史ノンフィクションだ。門番役、家政婦探しから「第九」の初演のお膳立てまで、敬愛する大音楽家に尽くし、伝記も書いたシンドラー。しかし、聴覚を失ったベートーヴェンが筆談のために使用していた「会話帳」に膨大な書き込みを加え、後年「音楽史上最悪のペテン師」のレッテルを貼られてしまう。なぜ彼は資料の改ざんに手を染めたのだろう。

 お互いに憎悪や軽蔑を抱き、馬が合っていたとは決して言えなかった二人。関わり合いのエピソードひとつひとつがそれぞれの人間臭さを映し出していて、思わず苦笑してしまう。羨望、自負、承認欲求、名誉欲。捏造の動機はそれらすべてに根差していたかもしれないが、著者は断罪、擁護のどちらにも筆を寄せず、決めつけを避けながらシンドラーの心情を探ってゆく。人の「分からなさ」を大切に扱った、ドラマティックかつ誠実な一冊だ。

 ベートーヴェンに多大な影響を受けた作曲家のひとりがシューマン。奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫)は、ピアノの鍵盤にリアルな血の色が落ちている表紙カバーにまずぞくりとさせられる。ある天才ピアニストにまつわる手記という体裁で綴られたサスペンスであり、楽曲の解釈を味わう音楽小説でもある。ページを惜しまず語られる蘊蓄が美しい。

 かつてピアノを習う子供はまず「バイエル」から始めたものだった。長年愛用されてきた定番の練習曲集だ。でもバイエルって、誰? 安田寛『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(新潮文庫)は、知られざる彼の経歴に迫ったユニークな紀行本。生誕の地ドイツの音楽事典にバイエルについての記述が一行もなく、丸2年調べても何も分からなかったというところから始まるのが面白い。最相葉月氏による解説も読みごたえがある。

新潮社 週刊新潮
2023年12月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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