土の中の空洞で暮らす生命体の暮らし描く…日本SF大賞を受賞した奇才の長編小説

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奏で手のヌフレツン

『奏で手のヌフレツン』

著者
酉島 伝法 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309031583
発売日
2023/12/04
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 SF・ファンタジー]『奏で手のヌフレツン』酉島伝法

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 金色と銀色が溶けあう美しいカバーに惹かれて手に取ると、その厚さに一瞬怯む。酉島伝法『奏で手のヌフレツン』(河出書房新社)。どんな内容なのかタイトルからはちょっと分からない。約500ページ。うーん、読めるかな? とちらっと思う。挑むような気持ちで本を開く。あ、大丈夫じゃんと思っているうちにストーリーにのみこまれ、最後の一行で深く長く満足のため息をつく──この作品を読み終えた人の多くが、筆者同様こんな時間を過ごしたのではないかと思う。

 主人公(たち)は人に似た生命体、落人。彼らは土の中にある丸い空洞「球地」に住んでいる。電気やガスに相当するエネルギー源は太陽から得ているのだが、この太陽の設定がすごい。なんと108本の足で歩いて(!)いるのだ。落人の中から選ばれた足身聖54人が太陽に同化し、黄道と呼ばれる道を歩き続けて落人たちの暮らしを守る。誉れ高い役目ではあるものの、聖になるのは命を捧げることと同義で、一度歩き手となったら二度と家族や友達の元には戻れない。

 落人にとって最も恐ろしい事態は「蝕」だ。太陽には寿命があり、そのうえ月が常に太陽のあとを追っているので、もし月が太陽に追いついてしまったら、またその時新しい太陽が生まれなかったら、大地が冷え切る狭臥期が訪れるかもしれない。それを防ぐために存在するのが奏で手たちで編成された央響塔、オーケストラだ。受け継がれてきた様々な譜を元に曲を演奏し、太陽や月の動きを外側から制御しようとする。これもまた聖職である。

 第一部は、足身聖となった親を見送り、煩悩蟹の解き手になる修業を始めたジラァンゼの視点で綴られる。落人ひとりひとりの煩悩が内臓に投影されている煩悩蟹は、食材にもなれば建材にもなるため生活には欠かせないが、指を数本失う職人もいるほど解体が難しい。仲間と切磋琢磨し一流の解き手になろうとするジラァンゼの奮闘と、球地に訪れる危機が描かれるこの前半を経て、第二部はジラァンゼの子供、ヌフレツンに光が当てられる。青春と音楽と冒険が一体となる展開に、不安混じりの興奮とどきどきが止まらない。

 性別がなく、然るべき時が来たら子を孕み、目から涙石を落として出産する落人たちの健気さ。焙音璃や浮流筒、摩鈴盤などの楽器名を始めとする、視覚的、音声的にも考え抜かれた造語の魅力。酉島さんの紡ぐ物語は常に細部まで丁寧に編みこまれていて、かつ壮大で圧倒されるけれど、いつも作品の底に厚みのある優しさとユーモアがクッションのように敷かれていると感じる。己が生きるため、同胞を生かすために、歩き、蟹を解き、懸命に譜を再現し、薬を作る彼らの営みにぜひ心を添わせてほしい。そして長くあとをひくラストの余韻を味わってほしい。

新潮社 小説新潮
2024年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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