球面世界が舞台のファンタジー でも〈生きる喜び〉は変わらない

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奏で手のヌフレツン

『奏で手のヌフレツン』

著者
酉島 伝法 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309031583
発売日
2023/12/04
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

球面世界が舞台のファンタジー でも〈生きる喜び〉は変わらない

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

 酉島伝法の『奏で手のヌフレツン』は、〈球地〉という不思議な球面世界を舞台にした長編小説だ。球地は大地の中心にできた空洞で、空はないが海はある。地球を裏返して、球状にしたようなイメージだろうか。太陽は〈落人〉と呼ばれる生き物が暮らす〈聚落〉を徒歩で巡る。落人は単性生殖で、子供は身体の一部が欠損しても再生する。著者ならではの造語を駆使して創られた現実離れした世界のあり方、現実離れした登場人物の姿に戸惑うが、読んでいるうちに、球地の風景と落人たちの営みが生き生きと立ち上がってくる。

 第一部の主人公ジラァンゼは、太陽を失って滅亡した〈霜の聚落〉から〈叙の聚落〉に移住した家族の子供だ。一家はマイノリティとして差別されていたが、ジラァンゼの親が〈足身聖〉に選ばれると状況は変わる。実は太陽の足は儀式を経て太陽と一体化した足身聖たちの脚なのだ。歩けなくなった太陽は、後を追う月に呑み込まれてしまう。親が太陽に身を捧げて、家族はようやく叙に居場所を得られる。のちにジラァンゼは、落人にとって重要な資材であり、食材でもある〈煩悩蟹〉の解き手になる。巨大で凶暴な蟹を解体する難しい仕事のディテールとジラァンゼの成長を描いているくだりがよい。

 落人が生きるために必要不可欠な太陽と月は、恐ろしい怪物でもあるけれども、〈聖楽〉を奏でることである程度は動きを制御できる。その聖楽の奏で手のひとりになるのが、ジラァンゼの子供のヌフレツンだ。第二部では、ヌフレツンが音楽で世界の危機に立ち向かう。

 ジラァンゼもヌフレツンも、見かけは人間に似ていない。苦痛を〈苦徳〉と捉え、特定の他人と番うのは下等生物と見なす落人の信仰も理解しがたいところがある。だが、美味しいものを食べて喜び、家族や友達を思いやるかれらの言動に感情を揺さぶられる。共通点が少ないからこそ芽生える共感があるのだ。

新潮社 週刊新潮
2023年12月28日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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