わたしたちに翼はいらない

わたしたちに翼はいらない

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 園田の実家は川沿いの町にある。町の中でもとりわけ古びた建物が建ち並ぶ、多くの人が「昭和っぽい」と表現する町で生まれ育った。二階建ての家や文化住宅がきゅうくつそうにひしめきあっていた。「○○銀座」と名づけられた商店街では、夏でも冬でもおかまいなしに桜の造花が風に吹かれていた。
 隣の家には老夫婦が住んでいて、玄関にいくつもプランターを並べていた。母と隣人はそのプランターがこちらの敷地にはみ出したのはみ出さないのでしょっちゅうめていた。
 母は隣家のプランターに植えられた花を忌々いまいまし気に睨みつけては「貧乏人が花なんか育てちゃって」と小馬鹿にしていた。
「どうせなら、食べられるものでも育てりゃいいのに」
 母がなにかにつけて人のやることにケチをつけるのが恥ずかしかった。ほかにもたくさん恥ずかしいことがあった。クラスでいちばん背が小さいこと。二重とびがどうしてもできないこと。なんの授業だったかもう忘れたが、「カレーの材料を挙げよう」という授業でみんなが次々に、「たまねぎです」とか「お肉です」とか言うのに、園田だけ「ツナ」と答えてしまったことがあった。そのすこし前に母が「お肉買うの忘れちゃった」とツナを入れていたことが頭に残っていたせいだが、クラス全員から「カレーにそんなの入れるわけない」と馬鹿にされた。「先生もそれは食べたことないなー」と困ったように首をかしげていた先生の口もとに浮かぶ、かすかな笑みが今でも忘れられない。
 両親の仲が悪くて、いつも隣近所に聞こえるような大声で言い争っているのが恥ずかしかった。運動会の時、観覧席がみょうに騒がしいと思ったら両親が怒鳴り合っていたこともあった。彼らが言い争う理由はおもに、父に言わせれば、母が父に「なめた態度をとる」こと。母に言わせれば父の稼ぎが少ないから母の実家に住まわせてもらっているというのに父に「感謝の心がない」ということ。
 父の味方は、家の中にはひとりもいなかった。園田が七歳の時に両親が離婚し、父ひとりが家を出ていった。小学生の中途から中学卒業までは母方の姓である「室井むろい」で過ごした。そのあいだに祖母が死に、祖父が死んだ。兄が家を出て、ようやく「ひしめきあう」暮らしではなくなったと思ったら、父が帰ってきた。園田が高校に入った頃だ。よせばいいのにふたたび婚姻届を出し、室井律は園田律に戻った。復縁を望んだのは母のほうだという。
 周囲の人びとに言わせれば、いつまでもひとつのことにこだわるのは「めめしい」ことらしい。「男の子ってひと晩たったらぜんぶ忘れちゃうよね」「うちなんか三歩歩いたら忘れちゃう」というような周囲の大人の会話を耳にするたび、「もしかして自分はほんとうは男ではないのかもしれない」と思っていた。