わたしたちに翼はいらない

わたしたちに翼はいらない

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 一度その存在に気づいてしまうと、どうして今まで目に留まらなかったのだろうと思うほど、柳瀬くんは目立った。光が当たっているように、どこにいてもすぐに見つけられた。
 いわゆるスター的なタイプの生徒ではなかった。成績も存在感も、すべてが「ほどほど」の階層に属する、物静かな男の子。
 ほどほどの男の子が良かった。人気のある男の子を好きになって、身の程知らずだと他人に嗤われるのはたまらない。柳瀬くんはでも、そのほどほどの集団の中でも際立きわだってきれいな顔をしていた。雰囲気が地味なせいか、みんなそのことに気づいていないようだった。「ほりだしもの」だった。言葉は悪いが。
 渡り廊下ですれ違う時、校庭にいるのに気づいた時、すばやくその横顔を盗み見た。顔が好きだから柳瀬くんを好きになったのか、柳瀬くんが好きだから顔も好きになったのかわからなくなってしまうぐらい見つめ続けた。
 交際を申しこんでからもそうだ。見つめて、見つめて、でも視線が合うことは、めったになかった。
 柳瀬くんは一度も「いやだ」と言ったことがなかった。つきあってください。いいよ。一緒に帰ろう。いいよ。映画にいこう。いいよ。ある時、気づいた。なにかしよう、と言うのはいつも自分のほうだと。
 三年生になっても、ふたりの関係はそのままだった。放課後、一緒に帰る約束をしていた柳瀬くんがいつまで待っても現れないので、しびれを切らして迎えにいったことがある。
 中庭で、二年生の女の子と一緒にいた。二年生の女の子は遠目にもわかるほど大きく肩を震わせて泣いていた。
「あの子に、告白されたの?」
 校門を出てから問うと、柳瀬くんはあっさりとうなずいた。
「そうだよ。つきあってくださいって」
「それで、どうしたの」
「断ったよ、そりゃ」
「どうして?」
「どうしてって?」
 由乃をまじまじと見て、柳瀬くんは薄く笑った。
「どうしてって、今山田さんがいるからだよ」
 立ち止まったが、柳瀬くんはそのまま歩きつづけた。
 ねえ、山田さんは僕になんて言ってほしかったの? 柳瀬くんがそう言ったような気がしたが、もしかしたら由乃の思いこみなのかもしれない。
 なんて言ってほしかったかなんて、決まっている。「山田さんが好きだからだよ」と言ってほしかった。他の誰でもない、山田さんだけが好きなんだよ、と。
 たとえあの二年生の女子の告白を由乃との交際以前に受けたとしても断ったと、そう言ってほしかった。「山田さんがいるから」という言葉には、愛情も執着も含まれていない。単なる先着順だと言われたも同然ではないか。
 柳瀬くんから好かれていない。唐突にそのことに気づく。いや、ほんとうはずっと前から気づいていて、気づかないふりをしていた。もしかしたら女の子とつきあうということそのものが、柳瀬くんにとっては重要な事柄ではないのかもしれない。たとえばふくろさんのものを拾ってあげるとか、そういうことと同列の、ある種の親切のようなもの。
 ねえ、つきあうのやめない? 由乃がそう伝えた時も、柳瀬くんはやっぱり「いいよ」と言った。うん、いいよ、わかった。それで、終わった。

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