言語オタクも納得の痛快本

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日本語の謎を解く

『日本語の謎を解く』

著者
橋本 陽介 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
語学/日本語
ISBN
9784106037849
発売日
2016/04/22
価格
1,404円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

言語オタクも納得の痛快本

[レビュアー] 高野秀行(作家)

 私はアジア、アフリカ、ヨーロッパの言語をこれまで二十近く習って、実際に使ってきた。半分以上は忘却の彼方だし、現在話せる言語もたいていブロークンか片言に毛が生えたレベルだから全然自慢にならないのだが、いつも何かしら言語を習っているし、言語オタクなのは間違いない。

 当然、日本語にも興味があり、日本語関係の文章も少なからず読んでいる。ただしオタクの常として、他人には厳しい。「日本語は世界で最も難しい言語」だとか「日本語は曖昧で論理的でない」とか「最近、若者の言葉が乱れている」などと目にすると、イラッとくる。経験的にそれらが正しくないか、ひじょうに浅い見方だとわかるからだ。

 巷にあふれるそれらの言説は今、目の前にある日本語しか見ていない故に視野が狭く、認識も浅いのである。ただ残念なことに、私は経験的に言語を多少知っているだけで、論理的に説明できない。文句を言うに言えず不満がたまる一方なのだ。

 本書はそんな私に替わって、日本語という言語の実情を論理的に説明してくれる奇特な本である。企画が生まれた成り立ちからして面白い。著者の橋本先生は勤務する高校で「言葉の謎に迫る」という授業を行ったが、前段階として「現代日本語、古文、漢文、英語、その他の言語について、疑問に思うことをできるだけ多く挙げよ」という課題を出した。すると、全七十二名の生徒から総計二百五十に迫る言語についての質問が提出された。そのうち、日本語に関する疑問を整理して、ひとつひとつ言語学に基づいて明らかにしていったのが本書であるという。

 つまり、現実に、高校生が「先生、どうしてハ行だけパピプペポとかって○がつくんスか?」と投げかけた素朴な質問に対し、先生が「それはだね……」と、最新の言語学を駆使して真正面から答えた様子が――多少形は整えられてはいるが――ほぼそのまま再現されているわけだ。

 これが痛快なのである。高校球児が投げる球を全盛期の松井秀喜が片っ端からスタンドに打ち込んでいる光景すら連想する。どんな球、いや疑問にも一切手抜きや手加減をしないという情熱と、どんなビーンボールでもワンバウンドの球でもバットの芯でとらえる技術の高さにほれぼれとしてしまう。

 一般読者にとりわけお勧めしたいのが第四章「言語変化の謎」。「誤用」や「乱れ」に関する疑問である。「シミュレーション」は「シュミレーション」と間違えられやすい。「役不足」「気が置けない」といった表現がよく間違った意味で理解されている。「食べられる」を「食べれる」と言ってしまう人が多い(いわゆる「ら抜き表現」)。若者は「ヤバイ」を「すごい」の意味で使う。

 日本語雑学やテレビのクイズ番組などでは「それは間違いで、本当は××です」で終わってしまい、本当に苛々させられるが、本書では「なぜ間違えられるのか」「なぜ乱れるのか」をとことん追究する。

 詳しくは本書を読んでいただきたいが、一言でいえば、それらは決してただの「誤用」でもなければ「乱れ」でもない。例えば、「新しい」もかつては「誤用」だったという。本来は「あらたし」だったが「あたらし(「もったいない」の意)」と形がそっくりなために混同され、やがて「あたらし」が「新しい」を意味するようになってしまった。一方で「新たな気持ち」の「あらた」のように古い表現も残っている。

 一部の人たちが間違えているうちは「誤用」「乱れ」であるが、誤用が一定以上に増えるとそちらが「正しく」なっていくのである。百年後は「食べれる」や「超ヤバイ」が「美しい日本語」とされる可能性だってあるということだ。

 こうして巷にあふれる表面的な日本語俗説は言語学の論理でバッサバッサと斬られていく。実に痛快である。莫大な数の学者が研究を積み上げてきた言語学の論理は強靱なのだ。

 ところが後半に行くにしたがい、意外な展開が待ち受けている。現在の言語学にも橋本先生は随所に疑問をもっているのだ。「文」とは何か。「主語」とは何か。「構文はちがっても意味が同じなんてことはあるのか?」などなど。言語学にはもしかすると西欧文化のバイアスがかかっているのではないか? というのが橋本先生の疑問の根底にあるようだ。

 何よりもこの知的好奇心が痛快なのである。

新潮社 波
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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