あまりに哀しいある男の一生

レビュー

7
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空から降ってきた男

『空から降ってきた男』

著者
小倉 孝保 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103500612
発売日
2016/05/18
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

あまりに哀しいある男の一生

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 タイトルにひきつけられた。

 何かの寓意、たとえ話ではない。二〇一二年九月、ロンドン郊外の住宅地で黒人男性の死体が発見された。どうやら上空を飛ぶ飛行機から落ちたらしい。空港に近づくと飛行機は車輪の格納部を開く。その際、隠れていた人間が落ちてしまったのだが、なぜそんなところに人がいたのか誰だって知りたいではないか。

 この事件に興味を持った毎日新聞の特派員である著者は、独自に調査を始める。身元を示す手がかりはほとんどなく、それこそ空をつかむような話だったが、ロンドン警視庁が、男性が所持していた携帯電話のSIMカードから、彼が頻繁に連絡をとった相手の女性を割り出し、そこから彼がモザンビーク出身のジョゼ・マタダだと突き止めた。著者は、警察顔負けの調査力と粘りを発揮、ジュネーブにいるその女性ジェシカや、モザンビークのマタダの家族にも会いに行く。

 この事件を著者が新聞に書いたとき、英訳された記事を読んだイギリスとオーストラリアの劇作家から問い合わせが来たそうだ。たしかに著者が明らかにする二人の人生は波乱万丈で、芝居か映画になりそうなエピソード満載だ。

 イギリス人の父、スイス人の母のあいだに生まれたジェシカは、幼いころから多文化が共生する場所で育った。カメルーン人の夫と結婚して南アフリカに移住するが、白人の彼女と、夫や家族はうまくいかない。庭師として雇われていたマタダとジェシカは心を通わせるようになり、一緒に夫の家から逃げ出す。働き口もない二人はたちまち困窮し、正規のパスポートがないマタダを置いて、ジェシカは母の住むベルリンへ一人向かう。

 恋人ではなかった、とジェシカは言う。ジュネーブに戻ったジェシカは別のアフリカ人男性と結婚するのだが、マタダは電話で祝福してくれた、と。そんな彼女を著者は「かなりお幸せな女性」と書く。取材相手に向けるこの辛辣さに初め違和感を覚えたが、ジェシカにとってマタダは世界の一部でも、マタダにはジェシカがすべてだった。きわめて確率の低い賭けに運命を委ねるまで追い詰められたマタダの死出の旅をたどる著者には苛立ちが抑えられなかったのだろう。

 飛行中の格納部はマイナス五、六十度まで温度が下がるという。トレーナー姿で乗り込んだマタダがもし生きてロンドンにたどり着いていれば、それこそハリウッドで映画化される話になったが、現実はあまりにも救いがない。

 家族に同情したノルウェーの企業が費用を負担して、ロンドンの墓地から掘り起こされた遺体がマタダの故郷に戻されたのは救いといえば救いだが、死んで初めて正式に海を渡ることができたというエピソードに、マタダの悲哀がきわだつ。

新潮社 新潮45
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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